太平記シンポ余談

昨日の太平記シンポジウムは計4本の発表があり、最後の発表者伊藤慎吾さんは「妖怪資料としての『太平記』受容―「広有射怪鳥事」を中心に―」と題して、巻12で建武元年改元記事に伴って、紫宸殿の上で「いつまでいつまで」と鳴く怪鳥を隠岐広有が射落とす記事があるのを取り上げ、安永8年には鳥山石燕が「以津真天」と命名し、現代になると、放置された餓死者の死体を食い荒らし、「いつまでいつまで」と鳴く怪鳥として記述されることを指摘しました。

発表はさらにライトノベル、アニメ、ゲームにまで及んだのですが、私としては、太平記では時勢批判と予言の役を担った怪鳥が、どうして現代では餓死者の遺体放置を詰問するようになるのかが、気になりました。フロアからの発言で、どうやら最初の記述は水木しげるらしいと分かったので、南方戦線の体験と関係があるのでは、と思ったのですが、質疑応答が噛み合わないうちに、私の方は辞去すべき時間が来てしまったので、帰宅してから伊藤さんにメールしたところ、以下のような返信がありました。

「その後、ご質問の意図に気づいたので、他の質問への回答にこと寄せて、水木が病死者を餓死者に改変した作為の背景には、南方での壮絶な戦争体験があっただろうと答えました。 『日本妖怪大全』の解説がその体験談から始まるのは、水木にとって、改変型「以津真天」と直接結び付いているからでしょう。水木は晩年まで、戦争体験をエッセイでしばしば取り上げていました。 その体験は、同時に妖怪創作にも反映されていることが窺われます。 これはもう少し掘り下げてみる価値のあることだと思います。」

シンポでは、井上泰至さんの後醍醐天皇楠木正成像の変容についての発表もあり、さらに今日も続き、討論も行われたはずで、やがて成果が活字となって世に出る予定です。