温かな手で

信濃毎日新聞取材班『不妊治療と出生前診断―温かな手で』(講談社学術文庫 2015)を読みました。信濃毎日は今年の8/3から10/12まで、「どう考える?新出生前診断―導入5年の広がり」という記事を連載したのですが、その元には本書があるから、と友人から勧められたのです。本書は、1出産の重圧 2迫られる決断 3戸惑う医療者 4最先端の国から 5障害と向き合う 6やわらかな家族 7決断のために の7部から成り、どれも重くて大きな問題を、実例と共に取り上げています。妊活、出生前診断による中絶、デザイナーベビー、養子縁組や里親制度、障害児支援と地域包括ケア等々・・・今年の連載は、その後の社会的認識の変化に基づき、さまざまな不安を抱える「親になる」直前の世代に呼びかけ、またそれを取り巻く社会一般(つまり、私たち)に、ひろい理解のきっかけを提供しようとしています。

どれもうかつには喋々喃々できない問題ですが、私としては①血のつながりへのこだわり(何故、子をもうけるのか)への疑問と ②最新科学技術は、どこかで一般的利用の線を引くべきではないか、と考えさせられました。

妊活が今やおおっぴらのものになり、技術がどんどん進んで、デザイナーベビーも空想ではなさそうな風潮ですが、私が抱くのは、そんなに無理してまで自分の血がつながった子でなければいけないのか、という疑問です。当事者でなければ分からない!という議論はなしにしましょう。血を分けた子でなくては、というこだわりは、しばしば人を救いがたい不幸に陥れます。根底にあるのは利己主義だからです。

我が家の祖父は、子供はみんな仏様からの預かり物、と称し、亡父は(鈍感力のすぐれた人ではありましたが)24歳で結婚するまで、自分が貰われ子だったことに気づきませんでした。それゆえ我が一族は、血が繋がっていなくても親子にはなれることを信じて疑ったことはありませんでしたが、後年、そういう考えの人ばかりではないことを知りました。

「明日ママがいない」というTVドラマが放映された時、そこに提起されていた重要な問題を読めずに(読もうともせずに)、叩き潰したのは福祉関係者でした。あの時ほど落胆したことはありません。生まれてきたいのち、生まれるはずのいのちの真の幸せを祈るならば、どうするのがよいかー腹の底深くへ落とし込んで、考えたいものです。