百寿

母方の叔父が百歳を迎えました。末っ子だった叔父は、7歳上の私の母になついていたらしく、今でも甘えん坊のところがあります。子供の時の中耳炎(昔はよくあったのです)のせいで難聴のため、聴診器を使わない医者(皮膚科)になりました。新潟大学医学部へ進学した時、義理の兄になっていた私の父は、しっかり勉強するように、と長文の手紙をよこしたそうです。私はどうしても叔父さんと呼ぶ気になれず、父が呼んでいたようにゴロチャンと呼んでしまうので、従妹は時々むっとしています。

愛妻を亡くしてから老人ホームへ入りましたが、声が大きいのと看護師さん相手に冗談を言っていた癖が抜けなくて、なかなかなじめないらしい。

しかしあるときハンセン病治療への貢献で表彰され、家族にも知らせず、ずっとそういう仕事をしてきたのだと分かりました。80代まで、夜行バスで正倉院展を観に行ったり、突然、葉書に筆太な俳句を書きなぐってよこしたりしました。以下は、私が今の家へ越してきた時に大きな紫陽花の鉢植えを贈ってくれたので、メールでやりとりした連句です。最近は白内障が出て、メールもやらなくなったようです。

大鉢の花を迎へて転居済む                      mamedlit
 紫陽花いろの小雨ふるなり                    Goro
春の夜や達治の夢の乳母車                        mamedlit
 雲居に紛うかの蜃気楼                            Goro
薫風が門を抜けたる南禅寺                        mamedlit