ニコライ堂の鐘

朝、ニコライ堂の鐘の音がいつもより大きく長く鳴り続けました。普段は気づかない程度なのですが、東北大地震の年忌や原爆記念日、クリスマスなどには、おや、と思うほどよく聞こえます。NYテロの年忌とか、法皇の交替にも。今日は何があったのか、西日本の洪水被害、それとも・・・30年前のあの宗教団体の指導者の罪と罰、その被害者のために祈るのでしょうか。ロシアでも信者が多かったと聞いています。

ニコライ堂の今の鐘は、調べてみると函館のハリストス正教会から持って来たのだそうです。子供の頃、「♪ニコライ堂の 鐘が鳴る鳴る かんだかんだかんだ~」という、学生街を歌ったあかるい歌謡曲(「神田小唄」)が、ラジオの「のど自慢」でよく歌われていました。湯島聖堂の銅葺屋根と並んで、ちょっとロマンティック、ちょっと異国趣味の、江戸から大正に続いた文化の街のシンボルでした。

この街に住んでいると、思いがけずニュースの現場が近いことに気づかされます。ヘリコプターが飛び交う日は、官邸と地方を往復する必要が起こったのです。南西の方角がうるさい日は、靖国神社で何かある。東大病院や東京医科歯科大病院の上空で、ヘリがホバリングする日もあります。後楽園ドームコンサートの花火の音も聞こえるのですが、残念なことに高層ビルが建ち並んで、見えません。

ニュースとのほどよい距離を各人が見極めることは、とてもむつかしいが今、必要なことです。教祖と称した人物の精神状態については、死刑制度の是非とは別に、何か割り切れない気持ちが残ります。再審請求をしていた者の権利についても同様です。法解釈の上ではどうなのか。倫理学ではどう考えるのか。五輪準備の一つ、などという説が出回って、案外、的を射ているかもと思ったりしてしまうのが怖い。