摘み草

昭和天皇の誕生日だった祭日を、「みどりの日」と命名したのは名案でした。さきの大戦で国中禿げ山になり、植樹を奨励して歩いた天皇の記念としても相応しいが、この季節の喜びを最もよく表現しているからです。今の時季は、路傍で何を摘んでも見惚れるほどみずみずしく、美しい。今日の我が家の洗面台には、母子草と雪の下の葉に、咲き残りのパンジーを合わせて挿してあります。

朝の家事が終わったので、朝刊を持って出かけました。赤門脇の椎の木が、盛り上がるように花をつけ、独特の匂いを放っています。近所の雑貨屋の娘が自転車ですれ違い、挨拶されました。昨年、父親が亡くなり、店は取り壊し中。娘さんはすっかり白髪が増え、そんな年齢だったんだ、親を亡くすと一気に年を取るなあ、と思いながら東大構内へ入りました。

さまざまな鳥の声が降ってくる大楠の下で、新聞を読みました。新緑の芳香にすっぽり包まれます。記念撮影をする親子連れ、ベンチに寝そべって日光浴するジーンズ姿の爺さん、何かの問題集に集注する若者・・・学生時代には、自分の老後にこんな時間があるとは想像もしませんでした。

帰路、児童館の生垣の山椒の新芽に触れたら、強烈な香りがぱあっと立ち、思わず小枝を1本、失敬しました(防犯カメラに撮られたかもしれません)。今夜の煮物に入れるまで、小さなミルクピッチャーに挿して、流しに飾ることにしました。