自分の名前

三十数年前の教え子から手紙を貰いました。ずっと海外勤務だった夫も本社勤務になり、子供が中学へ入ったので、パートで公立小学校の特別支援員を始めたそうです。衝動性・多動性障害がある子供たちを見守る仕事らしく、「子羊ちゃんたちを追いかけ、連れ帰るペーターのようです」、とありました。

毎日新たな発見があり、教員はトイレにも行けないほど忙しい(小学校女性教員には膀胱炎が多く、一種の職業病のようになっている、と何かで読んだことがあります)こと。大きな声で挨拶すると自分も気持ちがいいこと。支援を必要とする子、必要としない子それぞれで、較べるのは意味がないこと。帰宅して自分の子供を見ると、いつもと違って見えること、等々が書いてありました。

夫が海外にいる間は殆ど独りで子育てをしてきて、ボーイスカウト(今は女子も入れる)や宇宙センター見学にも一緒に参加し、その時々の経験を楽しんできた彼女ですが、順調に子離れを始めたのだなあと感心しました。中でも私が粛然としたのは、次のような一節でしたー主人や娘ではなく、自分の名前が記載されたネームカードや出勤簿、涙ぐみそうになるほどうれしいです。「長いこと、ずっと待っていました。お帰りなさい、自分自身」という気持ちです、と。

平安時代の女性は、紫式部といえども父・夫・息子との関係でしか名前が記録されず、ずっと堪え忍んできた、という論調に反発しながら文学史を学んできたのですが、現代でもそれは真実だったのですね。15年も待てば、女も自分の意志で名前を取り戻せる、それが時代の進歩でしょうか。