花相似、人不同

長泉寺の八重桜がほぼ満開になったので、喜福寿寺の枝垂桜と赤門の八重桜を見て歩きました。昔あった桜は伐られ、思いがけない所に若木が花をつけていたりします。安田講堂の前の大楠の下で、新聞を読みました。この楠も、あちこち大枝を切り落とされています。鳥の声に誘われて頭上を見ると、ビニールに包んだ苔玉みたいなものが枝に括り付けてあり、取り木をして増やそうとしているらしい。

図書館前は地下自転車置場と読書室を造っていた工事が終わり、田中後次作の噴水塔も戻されていました。真白いコンクリート広場で、戦時中に時枝誠記が芋畑を作ったという、楠と車輪梅の植え込みは、跡形もない。夢のような光景でした。

門脇の八重桜は、見事に咲き始めていました。かつては2本並んでいたのですが、今は切株も草の中で朽ちてしまったようです。今日で定年、という後輩に、偶然逢いました。例年4月半ばに咲くのに、今年は、と感激しながら見上げていました。向かいの法真寺(一葉ゆかりの寺です)では、本堂前の八重桜は未だでしたが、最近植え込んだらしい若木や枝垂桜、緑の花の桜が咲いていました。周辺の海棠や木瓜も盛りです。

扇屋で花見団子を買い、菊坂の肉屋へ寄ったら、赤門の桜の噂が出ていました。いま見てきた、と言うと居合わせたお客も一緒に喜んで、満開の山吹の枝を分けてくれました。黄金色の花を提げて歩きながら、年々歳々花相似、歳々年々・・・という句が浮かび、人事は変わるもの、誤った旧説がいつまでもそのままであってはいけない、いま為すべきことは、と繰り返し繰り返し自分に言い聞かせつつ帰りました。