いじめ

小学5年の二学期に、湘南の茅ヶ崎から東京の小石川へ転校しました。ポマードで頭を固めた担任が、近所の素封家の一人娘(Qさんとしておきましょう)の隣に席を決めてくれました。転校生の面倒をみてあげなさい、という意味だったのでしょう。彼女はクラスの中で特別な存在でした。色が白くて日本人形のようにしとやかで、例えば私たちが足袋かソックスを穿いていたのに、彼女だけはストッキングを穿いていました。

男子たちは、成績優秀なガキ大将(P君としておきましょう)を初めとして聞こえよがしに、あの子に触るとけがれる、とか傍へ寄ると何とか、と言って騒ぐことがありました。ある日、何かの事情で椅子と机を動かし、元へ戻す際に、P君にQさんが今まで座っていた椅子が当たることになり、P君は大騒ぎし、子分の男子たちもはやし立てました。ほんとはQさんに憧れていることが見え見えだったので、私はばからしくなり、P君に「椅子、換えてあげようか」と言いました。P君は一瞬、固まりましたが、ここでNOとは言えません。私がQさんの椅子に座ると、男子たちもしんとなりました。

翌日、私は男子たちと一緒に、担任に呼びつけられて叱られました。言い訳はしませんでした。当時は、無理解な大人に頭ごなしに叱られることは日常茶飯事だったし、Qさんが担任に告げ口したことの方が、私には衝撃だったからです。分かってないんだ、と思いました。そして、「恩ある」Qさんに説明できないことの方が残念でした。

彼女は「お入学」で別の中学へ行き、それ以来、会っていません。私も引っ越して、およそ50年後、年金事務所へ行くついでに旧居のあたりを歩いてみました。大谷石の塀のある、彼女のお屋敷には木立が茂り、「Q」という表札が出たままでした。お婿さんが来たのかなあ、それとも独身かなあ、と思いながら通り過ぎ、数年後に再び通ってみると、更地になっていました。

あれはいじめだったのでしょうか。親切にしてやった転校生までがボスの男子の御機嫌取りをしたとしたら、あんまりでしょう。でも、あのままにしておけば、男子たちはもう騒げなくなったはず、と思う気持ちも未だあります。どっちにしても、もうQさんに謝る機会は無くなりました。