軍記物語の窓

岡田三津子さんの論文「『参考源平盛衰記』淨書本の成立過程」(『軍記物語の窓 第5集』和泉書院)を読みました。『参考源平盛衰記』は、水戸の彰考館で、平家物語が史料として使えるかどうかを検証すべく編纂された書物です。元禄15年には一旦完成し、出版も考えられたようですが、なお改訂作業が続き、30年近く経って幕府に献上されました。それゆえ草稿本と淨書本、及びその過程にある本などいくつかの伝本があり、私もかつて先輩の益田宗さんに教えを乞いながら、伝本調査や水戸藩の編纂事業の史料解読に当たったことがありました。長門本平家物語のときもそうでしたが、『国書総目録』の該当項目を片端から当たって行って、確かにその書かどうかから調査したのです(『参考源平盛衰記』には似た書名の別書がある)。

岡田論文は、『参考源平盛衰記』の伝本の中、京大本、書陵部本、東大本、國學院本を精査して、京大本―書陵部本―淨書本の関係にあること、及び東大本は京大本の系統の写しであること、國學院本は淨書本成立以後のものであることを証明しています。國學院本は使用している用箋が特異で、古書店で見た時から、写しは新しいが伝来が面白いのでは、と思っていました。竹簡を印刷した用箋で、かつて書誌調査の折にどこかで見かけた記憶がある(無窮会文庫だった?)のですが、どなたか心当たりがあったら御教示下さい。

本書には笹川祥生さんの力作「毛利軍記の流れ」や、資料紹介も載っていますが、冒頭から、平家物語の諸本を比較する論考がずらりと並んでいます。それぞれ目的は異なりますが、他分野の人が見たらどう思うかなあ、とふと考えてしまいました。見分けがつかないかも。

諸本を対照すると何かしら言いたいことは出てくるので、論文の種は当分尽きないかも知れません。しかし、それでいいのか―古態の探究や、個々の諸本の性格や説話の位相差を論じることも、各人の研究過程にとっては意味がありますが、軍記物語研究の現段階として考えると、どうなのか。

このところ自分自身に問い続けている疑問です。