小さき生きものたち

中村桂子さんの『小さき生きものたちの国で』(青土社)を取り寄せて読みました。中村さんは生命誌研究というジャンルを唱えて、いわゆる生命科学に時間を導入し、「機械論的世界観」から「生命論的世界観」への転換が必要だと主張している科学者です。かつてE-TVで生命の神秘をテーマとした講座を担当され、畏敬の念を籠めて生命を語ろうとする態度に感銘を受けたので(ちなみに回を追うにつれてメークが変わり、徐々に、ひろく発信する人の顔になられました。勿論、TV局の専属美容師の仕事なのですが、何となく好もしい印象が残りました)、この本を読む気になったのです。

読んでよかったと思うと同時に、ホームグラウンドの著書をも読むべきだったと思いました。本書に出てくる多田富雄さんについても以前そう思った(読んだのは『免疫学個人授業』新潮文庫)のですが、野暮用に取り紛れて果たせずにいます。

本書は2002年から16年までにあちこちへ書いたエッセイを集めて、生命と科学、思慕と追憶、生活と視点の3部構成に仕立てられています。第1部と第2部の「思いきり個人的な柴谷論」を読むと、この分野の研究史が分かり、国際的規模の理系の学問といえども、こうして人間くさく展開してきたのだなあという感慨が湧いてきます。

ゲノムが設計図ではなくむしろ記録だということを、遅ればせながら知りました。あのダーウィンが蚓(みみず)の「知能」の研究に功績があり、現代の有機農法にも貢献していることも初耳でした。昔は予定調和とか自然の摂理とか呼ばれていた一見不思議なうごきを解き明かすために、あくまで自然科学の仕事でありながら哲学や倫理学、宗教学にも通じる柔軟な思考を求める姿勢に、共感を持ちました。死生学も、こういう遠回りを経てこつこつ築き上げていくことによって、信頼が深まるのではないかと思います。