憲法を

大学で教員免許を取るためには、憲法の講義を受講することが必須になっています。ここ十数年、各大学から推薦される大学院生の成績証明書に目を通す機会があるのですが、深刻な衝撃を受けたのは、優秀な成績なのに憲法の単位の評価が著しく悪い、という例が少なくないことでした。どうせ資格取得のためだから、と考えているとしたら、ゆゆしきことです。

私たちは中学時代、日本国憲法を熱意をこめて教えられました(前文や9条、97条は暗記しました)。大学へ入って一般教養では、松本清張を小型にしたような風貌の先生から憲法の講義を受け、授業そのものはごくふつうの授業でしたが、「権利というものは小出しに与えられるものではない、元来、人間はどこまでも自由だが、ただ公共のために一部が制限されるのだ」と言われたときは、未だ封建的な家父長制の余響の中で育った私には、目から鱗が落ちる以上の驚きでした。学期末試験のために憲法の解説書を読み、「立憲君主国の君主の使命はただ一つ、それは・・・」以下の文章を読んだときも、我が目を疑って何度も読み直しました。

憲法をまじめに勉強しましょう。ものごとを見るのに新しい角度を手に入れることができます。そこには複雑な現在と、予測困難な未来に備えて、シンプルな言葉で事態解決のための用意が述べられているからです。芥川龍之介若い人たちに向けて、文学をやりたければ数学を勉強したまえ、と言っています。自分の専門分野とは異なる目で世界を見る経験は、最前線に出ようと思うなら不可欠です。