硝子のハイヒール

今回の選挙報道で、「ガラスの天井」という言葉を使った人が複数いました。1人は巴里でインタビューに答えた人、ほかにもべそを掻きながらそう言った落選女性議員がいました。違うだろ!私は憤慨しています。

「ガラスの天井」という語は、ある程度女性の社会的活躍が進んでからの微妙な情況を、巧く表現した語です。制度的には平等が保障されているが、しかしいま1歩のところで中枢には届かない。誰に責任を問うことも出来ず、つまりは本人の能力と廻り合わせによるのか、と思わせる、微妙な場合を表現できる語だと私は思っています。そしてこれこそが最も問題だと感じている女性は、いま多いのではないでしょうか。

微妙な問題をとらえる語は大事です。その言葉がぼやけてしまうと肝心の問題もとらえられなくなる。今回の例はどちらも本人の過ち、もしくは本音が露顕したのであって、各人でその責任を負うべきことがらです。「ガラスの天井」とは違います。知恵を絞って、機会を逃すまいと、日々がんばっている同性の足もとを崩さないで欲しい。

「ガラスの天井」の反対語は何だろうと考えてみました。「ガラスの地下室」ではありますまい。ガラスの靴―同性たちに邪魔されながらも男性に認められ、目に見えない後押しを受けて成功を手にする女性の物語。これもまた微妙な情況ですね。ピンヒールはやめておいた方がよさそうです。