誤用の語法

若い人の中古文学の論文を複数読む機会があって、ひどく気になったのが「まなざす」という語です。「まなざす」という動詞は無いと思います。少なくとも大きな国語辞典には載っていない。「まなざされる」「まなざした」等の語がちょくちょく顔を出す論文は、読むのに生理的な抵抗を感じます。

「垣間見」という名詞(名詞「垣間」+動詞の連用形「見」→名詞)が「かいまむ」という動詞に変化した、あの有名な例から類推(?)したのでしょうか。誰かその道の有名人が使ったりして、この分野では流行語になってでもいるのでしょうか。「まなざされる」は「まなざしを浴びる」、「まなざした」は「まなざしを向けた」等々の表現が正しいと思います。言葉は変化するものという弁明は、古典語に詳しいはずの者が何でもやっていい、ということにはならないでしょう。

ここ数年気になっている現象は、自動詞があるのに他動詞を自動詞化してしまう語法です。「打ち上げた」→「打ち上がった」、「積み上げた」→「積み上がった」、「引き下げる」→「引き下がった」等々。いずれも「揚がった」、「積まれた」、「下がった」などの簡単明瞭な語法があるのに・・・殊に最後の例は「退き下がった」という別語に誤解されかねない。勢いのある言い回しを選ぼうとする風潮ゆえなのでしょうか。