空蝉の家

親の家を売りました。50年前は南西に富士山、北には年に何度か筑波山が見え、護国寺の杜では時鳥の鳴くのが聞こえ、丸ノ内線の1番電車の出て行く響きが枕につたわってくる家でした。感無量というか脱力感というか、一種の喪失感が疲労となって被さってきます。同時に、背負っていたものが無くなって、自分が自分になったような気もします。

帰宅して我が家の鍵を回すとき、キーホルダーが軽くなっているのに気づきました。20年前、地方勤務の頃は、東京の家と地元の家の鍵、研究室の鍵、親の家の鍵と、じゃらじゃら吊っていたのでしたが。

堀内孝雄が歌う「空蝉の家」という歌があります。田久保真見作詞。「生まれた家を売りに来た」で始まり、「昭和に生まれた不器用さ」と親を偲び、「命の限り蝉が鳴く」というリフレーンをもつ歌です。盛夏の蝉時雨の中の、怖いくらいの静けさ、自分の幼年時代から今までの多層的な時間を感じさせます。

歌手への提言ー力まないで、淡々と歌って下さい。「命の限り」は蝉が歌うから、語り手である貴方は、さらりと歌った方が聴き手を引き寄せます。プロモーションビデオはそういう歌いぶりなのですが、TVの歌番では劇場型の歌唱で,聴くのがつらい。