もう一つの平家伝説

平家物語に登場する人物には、何故か故郷や配流先で農業に貢献したという話が伝わっていることが少なくありません。平家側とは限らず、以仁王の乱で奮戦した信連(長谷部信連)も、配流先の伯耆国鳥取県)日野では地元の農業振興に関わったと伝えられています。彼の屋敷跡は日野町の根雨にあります。私が訪ねたのは29年前、今上天皇即位のための休日でしたが、中世の屋敷跡がよく保存され(敷地内には冬菜の畝が作ってありましたが)、隣の厳島神社の紅葉が燃えるようでした。根雨は古い宿場の面影を遺す、静かな街道筋です。日野川たたら製鉄と関係があります。伯備線は(今でも)1時間に1本程度しか通らず、鳥取市から真っ直ぐ行って真っ直ぐ戻るだけでまる1日かかりました。

信連の墓は石川県にあります。40年ほど前に訪ねた時は苦労しました。能登を1泊2日で廻る観光バスがありますが、輪島の物産館見学の間にそっと抜け出し、タクシーで行こうとしたのですが、タクシーの運転手も知らない。運転手仲間であれこれ詮議し(中には「俺んちの墓では駄目か」なんて言う人もいました)、「そう言えばあの田圃の中に何かあったな」ということで連れて行って貰いました。咲き終わった彼岸花の叢の中に石塔が建っているだけ。でも感激しました。いまネットで見ると、立派な観光地になり、彼岸花の名所と謳っています。

信連の晩年については『吾妻鏡』建保6年10月27日条に載っていますが、平家物語諸本には異伝もあり、中世を通じて人気のあった人物だったのでしょう。