源平の人々に出会う旅

源平の人々に出会う旅 第27回「犬山市・磨墨」

寿永3年(1184)1月、東国の大軍勢が都に迫ります。この時、梶原景季(景時の子)は、頼朝に名馬生食(池月などとも)を所望しましたが、生食の代わりに名馬磨墨を与えられます。その後、頼朝は生食を佐々木高綱に与えてしまうのですが、高綱は景季に生食を盗…

源平の人々に出会う旅 第26回「小田原市・範頼義経上洛」

寿永2年(1183)11月、義仲と後白河法皇の対立が悪化し、法住寺合戦が起こります。圧勝した義仲は法皇を幽閉、藤原基房と共に除目を行い、征夷大将軍(史実は征東大将軍)となります。しかし、この時には範頼・義経が率いる東国の軍勢が迫っていました。 【曽…

源平の人々に出会う旅 第25回「備中・妹尾最期」

寿永2年(1183)閏10月、水島の大敗を聞いた義仲は、倉光三郎を備中へ先行させますが、倉光は同行した妹尾太郎兼康(北陸合戦で捕虜となっていた)に討たれてしまいます。 【妙善寺(福隆寺・福輪寺)】 『源平盛衰記』では、兼康は平家に合流するため、福輪…

源平の人々に出会う旅 第24回「倉敷市・水島合戦」

寿永2年(1183)閏10月1日、屋島にいた平家が京ヘ進撃すると聞いた義仲は、海野幸親と矢田義清を派遣し、両軍が備中水島で激突します。 【玉島港】 現在、この付近は凹凸の多い地形ですが、当時は大小の島が浮かぶ海面でした(近世以降、干拓が行われてきまし…

源平の人々に出会う旅 第23回「信州佐久・猫間」

寿永2年(1183)、入京した義仲は京都の守護を命じられますが、京中の狼藉は収まりません。『平家物語』は、狼藉を義仲軍のみの所為であるかのように記し、義仲の田舎者振りを嘲笑する”猫間”や”牛車”のエピソードを載せます。事実を誇張したのか、『今昔物語…

源平の人々に出会う旅 第22回「鎌倉・征夷大将軍」

寿永2年(1183)7月、入京を果たした義仲でしたが、帝位争いで北陸宮(以仁王の遺児)の擁立に失敗します。『平家物語』では、義仲の田舎育ちの粗野な言動が強調されています。 【大蔵幕府・東御門跡】 いっぽう頼朝は、鎌倉に大蔵御所を建て、着々と地盤固…

源平の人々に出会う旅 第21回「滋賀県・比叡山」

寿永2年(1183)、北陸を勝ち進んだ義仲は越前国府に布陣し、京都の玄関口となる比叡山の大衆(だいしゅ)に味方に付くよう牒状(手紙)を送ります。比叡山は東塔・西塔・横川の3区域からなっており、東塔・根本中堂が延暦寺の総本堂に当たります。 【東塔・…

源平の人々に出会う旅 第20回「太宰府・玄昉」

寿永2年(1183)5月、北陸の合戦で平家軍は惨敗します。都では、戦乱の収束後に天皇の伊勢神宮行幸を行う旨の勅命が出ます。伊勢神宮行幸は、藤原広嗣の乱(天平12年(740))の鎮圧の際に、聖武天皇が初めて行いました。 【太宰府政庁跡】 聖武天皇の朝廷で…

源平の人々に出会う旅 第19回「加賀・篠原合戦」

寿永2年(1183)5月に倶梨伽羅峠で惨敗した平家軍は、加賀国へ退きますが、源氏に追撃され、篠原で激戦となります。 【多太神社(小松市)】 平家方の斎藤別当実盛は、老武者と侮られまいと、白髪を墨で染めて戦場に臨みました。多太神社には義仲が奉納したと…

源平の人々に出会う旅 第18回「北陸・倶梨伽羅落」

燧ヶ城落城の知らせを聞いた義仲は越中へ向かいます。『源平盛衰記』では、寿永2年(1183)5月9日に先鋒隊の今井兼平軍が般若野(砺波市)で勝利をおさめます。義仲は軍勢を七手に分け、自らは埴生庄(小矢部市)に布陣しました。 【護国八幡宮(埴生八幡宮…

源平の人々に出会う旅 第17回「越前・火打合戦」

頼朝と和睦をした義仲は北陸道を目指します。都では平維盛・通盛らが義仲討伐のため大軍を率いて北陸に向かいます。 【湯尾峠】 『源平盛衰記』には、義仲が越前に派遣した仁科・林・富樫らの軍勢は「柚尾ノ峠(湯尾峠)」に布陣し、燧ヶ城を築いたとありま…

源平の人々に出会う旅 第16回「長野県・清水冠者」

『平家物語』には、寿永2年(1183)3月頃、従兄弟である頼朝と義仲の間に不和が生じ、頼朝は軍勢を率いて信濃へ向かったとあります。 【善光寺(長野市)】 諸本によって内容が異なりますが、覚一本では頼朝は善光寺に入り、今井兼平と交渉します。参道入口…

源平の人々に出会う旅 第15回「長野市・横田河原合戦」

『平家物語』において、木曽義仲の活躍が最初に描写される合戦は横田河原合戦です。『平家物語』には、諸本間で大きな異同があったり、史実とは異なる日時に設定されるエピソードがありますが、横田河原合戦もそのうちの一つです。 【横田城址】 平家方の越…

源平の人々に出会う旅 第14回「武蔵嵐山・義仲誕生」

平家討伐を呼びかけた以仁王の令旨を受け取った源氏の一人に、木曽の義仲がいます。父義賢は上野国多胡郡を本拠地としましたが、久寿2年(1155)、悪源太義平に武蔵国大蔵館で討たれてしまいました。 【鎌形八幡神社(義仲産湯の清水)】 義賢は秩父重隆を養…

源平の人々に出会う旅 第13回「神戸・築島(経ヶ島)」

平忠盛・清盛父子は日宋貿易にも力を注いでいました。特に清盛は貿易のための港や航路を整備します。大輪田の泊り(神戸港)の改修工事もその一つです。 【厳島神社(兵庫弁天)】 承安3年(1173)頃、清盛は風の強い大輪田の泊りに防風の目的で築島(経ヶ島…

源平の人々に出会う旅 第12回「京都市・牛若丸と弁慶」

富士川合戦で勝利した頼朝の許へ義経が奥州から駆けつけます。義経の生い立ちについては『義経記』や学習院本・流布本『平治物語』などに詳細な記述があります。 【貴船神社】 平治の乱(1159年)で父義朝が敗死し、赤児だった牛若丸(義経の幼名)は鞍馬寺…

源平の人々に出会う旅 第11回「奈良市・奈良炎上」

治承4年(1180年)12月、清盛は敵対する南都の大衆(奈良の僧侶)を抑えるため、重衡を派遣し南都を焼討ちしてしまいます。『源平盛衰記』には興福寺・東大寺の伽藍の由来がより詳細に記されています。 【猿沢の池】 最初に鎮圧のため派遣された妹尾兼康は、…

源平の人々に出会う旅 第10回「東京下町・頼朝再起②」

『源平闘諍録』や『源平盛衰記』によると、頼朝は八幡(市川市)から太井(江戸川)・澄田(隅田川)を渡り、滝野川(北区)に布陣します。頼朝が太井川を渡った場所は、現在の市川市~松戸市付近と考えられます。『更級日記』に記された「まつさとの渡り」…

源平の人々に出会う旅 第9回「千葉県・頼朝再起」

石橋山を逃れて安房国に入った頼朝は、千葉介常胤・上総介広常らを召集し上総国・下総国を通って鎌倉に向かいます。そのため千葉県内の頼朝伝説は枚挙に暇がありません。この時の頼朝については『源平闘諍録』や『吾妻鏡』に詳しく記されています。 【亥鼻城…

源平の人々に出会う旅 第8回「神奈川県・石橋山の戦い」

治承4年(1180年)8月、ついに頼朝は挙兵、伊豆の山木兼隆館に夜討をかけ勝利を収め、続いて大場景親を討つべく石橋山(小田原市)に布陣します。【佐奈田霊社(与一塚)】 石橋合戦で特に活躍したのが佐奈田与一です。岡部弥次郎を斬った後、景親の弟俣野五…

源平の人々に出会う旅 第7回「伊豆・流人頼朝」

平治元年(1159)、平治の乱の敗北により13歳の源頼朝は伊豆の蛭ヶ小島へ流罪となります。この間の頼朝については『源平闘諍録』や『曽我物語』に詳しく、伊東祐親の娘(八重姫とも)との悲恋や北条政子とのドラマチックな婚姻などが記されています。【蛭ヶ…

源平の人々に出会う旅 第6回「神戸・福原遷都」

治承4年(1184)5月30日、以仁王の乱の鎮圧直後、突如清盛は翌月3日に福原遷都を行うと公表します。まさに青天の霹靂で京都は大混乱になりますが、清盛が遷都の日を2日に繰り上げたため、ますます混乱を極めます。 【雪見御所】 清盛は以前から福原の別邸に…

源平の人々に出会う旅 第5回「木津川・以仁王の最期」

三井寺を脱出した高倉宮以仁王は南都へ向かいます。途中、平等院で、追ってきた平家軍と激戦になり、三井寺法師が活躍(橋合戦)しますが、平家方の足利又太郎が馬筏で宇治川を渡り、源氏軍は総崩れとなります。頼政父子は自害、以仁王は南都を目指します。…

源平の人々に出会う旅 第4回「滋賀県・三井寺(園城寺)」

治承四年(1180)、源三位頼政は後白河法皇の皇子である高倉宮以仁王の御所へ行き、平家を討つべく挙兵を勧めます。以仁王は源行家に令旨を与え諸国の源氏に挙兵を促しますが、早くも事が露見したため御所を脱出して三井寺へ向かいます。 【三井寺南院】 三…

源平の人々に出会う旅 第3回「京都市伏見・城南離宮」

鹿ヶ谷の変以後、反平家の動きが活発になると、清盛は福原(神戸市)から軍勢を率いて上洛し、太政大臣以下40余人を解官、関白藤原基房を備前へ配流、後白河法皇を鳥羽殿(城南の離宮)へ幽閉します(治承三年(1179)の政変)。【城南宮】 鳥羽殿は白河・鳥…

源平の人々に出会う旅 第2回「京都・祇王寺」

【祇王寺】 都に祇王・祇女という白拍子の名手がいました。清盛は祇王を寵愛していましたが、ある時、仏御前という名手が現れ、祇王の取りなしで清盛に舞を披露しますが、清盛は仏御前に心を移し祇王を屋敷から追い出してしまいます。最終的に祇王は出家し、…

源平の人々に出会う旅 第1回「広島県・安芸の宮島」

「義仲に出会う旅」の続編として、「中世文学漫歩」ブログに「源平の人々に出会う旅」の掲載を始めました。引き続き御愛読ください。 伊藤悦子 【厳島神社】 安芸守となった若き日の平清盛は、朝廷から高野山の大塔の修復を命じられます。この時、清盛は霊夢…