2020-01-01から1年間の記事一覧

軍記・語り物研究会への提言

軍記物談話会30年+軍記・語り物研究会が来年で30年。運営に関する総会アンケートは昨日締め切られました。私が出した意見書を、字数の都合で抜粋して掲載します。 一 若手の研究成果発表と率直な議論のための場を確保するという、会の発足当初の目的を…

日本中世の政治と制度

元木泰雄編『日本中世の政治と制度』(吉川弘文館)という論集が出ました。元木さんの定年を記念して、その教え子と研究会への参加者20人の執筆者(と元木さん)の気鋭の論文を集めたもの。各論文とも「はじめに」で問題の所在を示し、「おわりに」で結論…

会場校

鳥取へ行ってすぐ、中世文学会の会場校を打診されました。助教授だったので、直属の教授が一切学会とは関わりを持たない主義で、受けられませんでした。名古屋で勤めた時にも打診され、私の所属は文学部ではなく、所在地も辺鄙だったため、文学部の安田孝子…

開日

知人の高月亨さんからメールが来ました。高月さんは理系の出身ですが、法学部を出て弁理士になり、目下、和暦に関心があって、調べているのだそうです。 【岩波の新日本古典文学大系43『保元物語 平治物語 承久記』331頁の慈光寺本承久記の一節「去トモ義時…

川越便り・名残の薔薇篇

喪中欠礼の葉書が毎日、数枚ずつ届きます。若い人からは、今年はコロナ騒ぎで帰郷できないと書き添えてあることも多く、さまざまな悲しみや忍耐を抱え込んだ歳末です。その中の1枚に、大学院時代の上級生の訃報がありました。入学後2ヶ月で学園紛争が勃発…

硬い姿勢と柔らかい姿勢

昭和45(1970)年11月25日、その日は大学院の中世文学研究会で、友人と共に帰途の地下鉄の中で喋っていたところ、突然友人が「三島由紀夫が死んだ」と言うのです。周囲の乗客が広げていた夕刊には、大きな見出しと、鉢巻姿で演説する彼の写真が載…

籠り居の秋

運動不足でバランスが悪くなったらしく、椅子から落ちました。棚の上の物を取るついでに、隣の棚の本にも手を伸ばしたのがいけませんでした。椅子2脚を倒し、書類ケースの角で頭を打ち、でも幸い、瘤が出来たくらいで済みました。エノキさんに、一度に二つ…

軍記物談話会抄史(10)

振り返ってきた通り、若手の自由な研究の場として発足した同人会から、世代を超えた研究会へ、そして200人規模の模擬学会へと性格が変わり、少しずつ制度を整えながらも過去の経緯を引きずってきた軍記・語り物研究会ですが、近年の研究動向を踏まえて考…

大和言葉集

徳田和夫・菊池仁・小林健二編著『大和言葉集』(三弥井書店)という本が出ました。あとがきによれば、徳田さんが同窓の菊池・小林さんを巻き込んで、底本を決め、校注を施し、10年以上かかって、3人が定年を迎えた時期に完成した、とのことです。増補改…

なぜ千年を越えて

渡部泰明さんの『和歌史―なぜ千年を越えて続いたか―』(角川選書)を読みました。額田王から香川景樹まで19人の歌人の評伝を並べて、『万葉集』から19世紀半ばまでの和歌史を描き出そうとしています。和歌は7世紀前半には形態を整え、短歌の現代まで含…

軍記物談話会抄史(9)

卒論に『平家物語』を選んだとき、私の指導教授(俳諧が専門でした)は「平家物語なら、新しいから何でも言えるよ、源氏物語や伊勢物語とは違う」と言われ、その場では何のことか分かりませんでした。後年、連歌その他「古典」を背負った文学を知ってから、…

コロナな日々 10th stage

バスに乗って、買い物に出かけました。もうクリスマスの飾り付けがされています。スーパーの食料品の棚が変化していました。ちょっと手を加える食材と、出来上がった惣菜とが圧倒的に多くなり、私が目当てにしてきた、地方ブランドの食材や保存食がない。家…

川越便り・紅葉狩り篇

川越の友人から、上州へ紅葉狩りに行ってきた、と写真添付のメールが来ました。 徳明園 【季節外れの暖かさと雲一つない快晴に誘われ、新車の足慣らしを兼ねて上州の紅葉巡りをしてきました。 一つは高崎市の徳明園という庭園です。観音山という山の中腹にあ…

軍記物談話会抄史(8)

会員数が増え、次第に研究会から学会規模に近づき、少しずつ規定や慣例を整備してきた1990年代は、思えば最も賑やかな時期だったかもしれません。私は名古屋に勤務し、名古屋大学OBを中心とする名古屋軍記物語研究会に参加していました。早川厚一さんが…

檀家の断捨離

ウェブ上で、檀ふみさんの断捨離に関するエッセイを読みました(婦人公論.jp)。ふみさんは女優として有名ですが、エッセイの腕もなかなかのもの。温かいユーモアとオチの巧みさには感心させられます。 お父さんの蔵書1万冊とお母さんの着物・端布類、放浪…

信濃便り・落葉篇

長野の友人から、メールが来ました。もう落葉が進んでいるようです。東京では、銀杏の葉が散り始めてはいるものの、黄葉は未だで、大半の並木は青いままです。 信濃の晩秋 「象山神社脇の歴道に面して古い屋敷があり、数年前に長野市に寄贈されましたが、利…

軍記物談話会抄史(7)

発起人世代を第1世代とすれば、私たちが第2世代、その後ほぼ10年の間を置いて第3世代の登場までは、軍記物語は中世文学研究の中核にいた、と言っても間違いではないのではないでしょうか。軍記物談話会の会員は次第に増え、平成に入る頃には120人を…

阿波国便り・草の実篇

徳島の友人から、散歩道での寓目写真が届きました。メールには[百舌が甲高く鳴き、もはや初冬の風情となりました]とあります。今年は各地で百舌が目立つのだそうで、我が家の周囲でも、今までになく頻繁に鳴き声が聞かれます。 蒲の穂絮 ソーセージドッグに…

軍記物談話会抄史(6)

長電話は全国の発起人世代にもかけられ、不定愁訴ではなく個人攻撃的内容になったようです。電話口で泣かれたり、家族から、あれはどういう人?と訊かれて困った、という話が、私の耳にも入りました。一方、和田英道さんの許には、男性の年長者から運営に関…

軍記物談話会抄史(5)

昭和45年1月まで、公衆電話の通話料は1回¥10でした(葉書は¥5だった)。気心の知れた女友達の間で長電話して、愚痴を言い合ったりはしましたが、目上から電話がかかれば緊張して受けた時代です。 私の世代が軍記物談話会の運営に関わるようになり、…

蜂たち

雲一つない小春日和。貴重な晴天です。敷布を洗って干し、ふと見ると、侘助の葉に大きな昆虫が止まっている。体長3~4cmはありそうで、腹部は黄色が目立つ虎縞です。ゴキブリほどもありますが、どうやらオオスズメバチらしい。居着かれては厄介と、割箸…

軍記物談話会抄史(4)

混迷の学園紛争から学んだことは、思想はけっきょく、人次第だ、ということでした。もう一つ、どんなコミュニティでも、ボスを発生させるような地盤は予め規制をかけておかなくてはいけないということも。素晴らしい思想を唱える人自身、日常の行動が伴って…

軍記物談話会抄史(3)

昭和43年に始まった学園紛争は、燎原の火の如く日に日に過激になり、大学は次々に閉鎖され、関連施設も使えなくなり、例会の会場探しに困りました。殊に「軍」記の「談話会」で、学生も参加すると言うと、怪しい団体と勘違いされて(されても仕方がない。…

大統領選

隣家の取り壊し工事が、日曜日だけはないので、のんびり起きてメールチェックをしていたら、米国大統領選勝敗決定というツイッター見出しが目に飛び込んできました。このところメディアは勝敗速報一色、しかし両者の選挙人獲得数はじっと動かない、という状…

軍記物談話会抄史(2)

昭和43年12月、軍記物談話会では渥美かをる氏を講演にお招きしました。その頃、会員は50名に近づいていましたが、会員の同窓会館などを会場に、手弁当で運営されていました。有名な女性会員は3名いた(それぞれ、『承久記』、『平家物語』や幸若、『…

豊後便り・天ヶ瀬篇

別府のセカンドハウスで、秋を楽しんでいるらしい友人から、メールが届きました。 [絶好の秋日和だったので、日田市天ケ瀬の農業公園にある「ローズヒル天ケ瀬」というところへ、今が盛りのバラを見に行ってきました。ここは温室栽培と露地植え栽培の両方が…

信濃便り・紅葉篇

長野の友人から、常山邸の秋景色写真を送ってきました。コロナ下のイベントや、昨年の洪水被害の話題もあって、故郷で暮らす日々が想像できます。 常山邸の秋景色 [今年は、真田10万石まつりなどの行事がないままの寂しい秋ですが、昨年の台風による水害から…

軍記物談話会抄史(1)

昭和41年の秋、帰宅した私はマンションの受付で呼び止められ、私立探偵が素行調査に来ましたよ、と告げられました。採用内定していた会社が調べさせたらしい(当時、銀行以外でも内定者の素行調査はよくあることだった)。要紹介で受験したのですが、それ…

源平の人々に出会う旅 第46回「三浦市・頼朝の三御所」

平家滅亡の後、次々と近親者を粛清した頼朝は、着々と鎌倉幕府の体制を整えていました。『平家物語』からは外れますが、『吾妻鏡』には、建久3年(1192)に征夷大将軍となった頼朝が、その2年後の閏8月1日に、三浦の津に山荘を建てるという記事があります。…

コロナの街・part11

明日は母の命日なので、花屋へ出かけました。薔薇を多めに買って、あるじと雑談したら、近所の寺が、墓の掃除・献花・読経、写真つきセットで¥1万5千というサービスを始めたと言う。コロナで墓参に来られない人のためのサービスらしい。主はさらに、農水…