地元の名店

早起きして、区役所の地下で開催している「ぶんぱくRe_2023」というイベントに出かけました。「文京区の産業・食・逸品・伝統工芸をまるごと体験」というキャッチフレーズで、今日明日、区の経済課が推進している催しです。お目当ては2つーあんみつ好きだった叔母の命日が近いので、老舗あんみつ店の出店で供物を発注すること、もう1つは、自由参加で開かれる和綴体験教室を見学することです。

体温を測り手指消毒をして会場に入り、地方発送ができるブースを探したのですが、店まで来て貰わないと、という所が多く、結局1件発注できたのは、我が家のすぐ近くにあるイタリア食材店だったりしました。あのあんみつ店も、ここでは発送は受け付けられないと言う。近くに新しい店を出したからそちらへ、と言うのですが、道を訊いてもどうも噛み合わない。なまじ地元で育った私と、春日町再開発後に勤め始めた女子店員とでは、街の把握が違うらしいのです。やむなく公衆電話から店へ掛けて場所を訊き、注文しに行ったのですが、地方発送できるセットは限定されていて、個数が多すぎる。毎日あんみつばかり食べるわけにもいかないだろう、と言ったら、「サハラ」という商品なら冷凍できます、と勧められました。さらに福岡へは、明後日着のはずだったのですが、明日でないと発送できない、と言う。日曜着にするために早起きして来たのに・・・

和綴体験教室の方も、客が少ないので洋装本にした、今回は和綴はやらない、と言う。やれやれ。斯道奨励と思いましたが、地元の名店、名産とは、こんなものですね。

帰宅して、「サハラ」を食べてみました。寒天に黄粉と黒蜜を掛けて、餡を乗せただけの夏向き菓子です。この店は創業1909年、黒蜜を湯桶に入れて出し、客の掛け放題というのが人気なのですが、もう無理にこだわるのはやめようと思いました。

山城便り・帯状疱疹篇

京都の錦織勤さんから、雪便りが来ました。

伏見の雪景色

【京都は昨夜から雪が降り、JRの列車が止まって大騒ぎになりました。積雪は15cmほどでしたが、積雪より低温の影響が重大だったようです。山向こうは醍醐寺の裏です。】

雪は画像で見れば美しく、雷は映像で見れば豪快です。徳島から蕗の薹の写真が来たので、錦織さんが昨年わざわざ植えた蕗はどうなったか、訊こうと思っていたのですが、山城の春は未だ遠いようです。

【今月3日に帯状疱疹になり、夜間救急で病院に行きました。痛みはかなりなもので、ふだん飲まない痛み止めのお世話になりました。
1週間分の薬が出て、だいたい治りましたが、発疹はいまも残っています。厄介な病気だと思いました。テレビで、高齢者はワクチンを、と勧めていたのは、まさに我々のことだったのだと、罹ってから気づきました。発症したら出来るだけ早く治療するのが肝要らしいので、ご用心(錦織勤)。】

以前、父が海外の国際会議から帰ってきて帯状疱疹ヘルペス)を発症しました。確かエネルギー開発交渉の会議で、東南アジアだったかアフリカだったか、発展途上国へ2週間近く行った時だったと思います。普段我慢強い彼が、床の中で唸っていましたが、どうしてやりようもないので聞こえないふりをしました。背中が赤紫に腫れ上がっていて、我が家は一番風呂は父と決まっていたのですが、先に入っていい?と訊いて、感染らないよ、と怒られました。

ヘルペス発症は強いストレスが原因、と聞いたことがありますが、錦織さんは年末年始、どうしたのでしょうか。

愚管抄の伝来

國學院雑誌」1月号(1389号)掲載の児島啓祐さんの論文「光圀本系『愚管抄』伝来考ー成簣堂文庫本・天理本・新出写本の関係をめぐって」を読みました。愚管抄の本文には疑問を抱く箇所が多いのですが、最近、坂口太郎さんや児島さんの仕事によってようやくその諸本に光が当てられるようになってきました。

本論文はまず、天理図書館蔵本と和田琢磨さん所蔵の写本とが元来同じ書架に保存されていた、同じく光圀本を底本としながら書写態度の異なる兄弟本の一部が取り違えられて流出したものであることを推定しました。こんな事も起こるんだ、それを推定することも出来るんだ、という驚きにわくわくさせられます。そしてこの2本が、愚管抄の校訂や古態探求に有益であるというより、近世中期の本書の伝来を明らかにするのに有意義なのだとの結論に納得します。これこそ、書誌学を駆使した本文研究の面白さです。

同じ底本から、校訂本と視認しやすい本との2種の写本が、同じ場所で作られたこと、また愚管抄の写本は平仮名書きが多く、片仮名交じりに統一されたのは彰考館の修史事業以降、天和頃だという指摘は、私にとって重要でした。歴史書が必ずしも漢字片仮名交じりで書かれたとは限らないということ、近世の書写は目的によって異なる本文を生み出すということは、源平盛衰記などにも共通する問題だからです。

本誌には折口信夫と対決する岡田荘司さんの『古代天皇と神祇の祭祀体系』への斉藤英喜さんの行き届いた書評や、「添臥」という慣習をめぐって葵上と光源氏の関係を鮮やかに読み解く竹内正彦さんの論文も載っており、論文がすとんと胸に落ちる瞬間の快感を味わうことができます。誌代は¥220(送料別)、お問い合わせは國學院大學文学部資料室(電話03-5466-4813)まで。

福豆

正月に大枚はたいて活けた花も、千両の小枝を残して駄目になりました。正月の室礼には、30年前に名古屋で買った藍染の幟を敷くのですが、絵柄が笛を咥えた赤い越後獅子で鬼に見え(大ヒットしたアニメの主人公の妹そっくりです)、節分までは敷いておき、豆菓子を籠に盛り合わせて飾ることにしています(立春を過ぎたら、赤い風呂敷を敷いて雛飾りを出します)。今年は美味しそうな豆菓子になかなか出遭いません。やむなく、ミックスビーンズの缶詰やピーナッツを盆に並べました。

群馬と長野の県境に別荘をお持ちの知人から、名産の花豆という大きな豆を頂いたのですが、煮豆には自信がない。家事代行のエノキさんに頼んでみたら、三河のお母さんに問い合わせたとかで、スマホと首っ引きで煮てくれました。半分は甘く煮て、半分は調理用に茹でたままにしておき、夕食に、茹でた小海老と紫キャベツと一緒にマヨネーズで和えると、洒落たサラダになりました。朝食には、刻みベーコンと一緒にコンソメスープに入れたところ、美味でございます!ベーコンから塩味が出るので、豆は茹でただけでOK。豆は煮るのに手間が掛かりますが、健康にいいそうで、これからはミックスビーンズなどを利用してみようと思いました。

千両の小枝は切り詰め、庭先のパプリカの黄色い実や斑入りの蔦と合わせて洗面台に活けたのですが、節分用の花は何を挿せばいいか思いつきません。魔除けに売っている柊は枯れかけているし・・・クリスマスなら赤・緑・白を、雛飾りなら桃色を主にすればそれらしくなるけど、さて。

スーパーでは枡に入れた福豆のほかにも、節分用の菓子を売っていました。鬼の金棒に見立てたチョコレートバーなどなるほどと思いましたが、節分は鬼の方が主役なんですね。

未完の秋月伝

郵便受から取り出した1枚の葉書ー寒中見舞に、衝撃を受けました。中西達治さんが昨年11月30日に、83歳で亡くなったとある。たしか12月早々に、「明治16年、秋月胤永60歳の決断」(「金城学院大学論集人文科学編」19:1 2022/9)の抜刷を受け取って、ツンドクの山の一番上に置いたままになっていたはず。いつもなら入っている手紙や庭前の花の写真がなかったので、そのまま積んでしまったのです。ではあれは、御遺族が投函して下さったのだったか。

中西さんは太平記が御専門でしたが、東京や名古屋の研究者仲間とは軽く距離を空け、マイペースで、途切れなく仕事を続けていました。しかし甘い仕事をする研究者への批判は手厳しく、ちょっと恐くもありましたが、私は可愛がって頂いたと思っています。名古屋在勤時代は非常勤に招んで頂いたし、転勤後も絶えず論考を送って頂きました。故福田秀一さんの収集した、太平記に関する近現代の著作のコレクションを、金城学院大学へ寄贈する際にもお世話になりました。

近年は、戊辰戦争美濃国高須藩に預けられた秋月悌次郎(胤永)の伝記を、こつこつと書き続け、ちょうど彼の還暦の年、明治16年の項を書き終えたところだったのです。この年、秋月は次男のいる東京へ移り、旧主松平容保の子息を初め彼を慕う門下生を教えながら、それまでの人脈を通してあちこちから助力を求められていたらしい。現代の我々からは想像し難い価値観の変動のさなか、人材確保と次世代教育とが、社会的にいかに重視されていたかが判ります。

すでに秋月伝は何種か出されてはいますが、中西さんの『秋月悌次郎伝』はついに未完になりました。花便りももう来ません。「歳月人を待たず」を噛みしめながら、合掌。

古活字探偵事件帖

高木浩明さんの「古活字探偵事件帖」という連載が始まりました(「日本古書通信」1月号)。古活字版悉皆調査の過程で出会った「事件」を語るそうです。

古活字版とは、近代の金属活字が出現する以前に刊行された活字印刷の本を言い、主に中世末期から近世初期の日本で作られた、木製彫刻の活字による印刷物を指します。1回に摺る部数は少なく、古書市場に出れば目玉の飛び出るような価格がつくことも屡々です。

従来、川瀬一馬氏の『古活字版之研究』(1937)がこの分野の聖典ともいうべく、殆ど唯一の参考書でしたが、この本の増補版の出た1967年に生まれた高木さんは、その偉業を継ごうと、全国の所蔵機関ごとに悉皆調査を始めました。第1回は「古活字版の誕生」と題して、古活字版についての基礎知識を述べています。

欧州からキリシタンが、また朝鮮から秀吉が持ち込んだ銅製活字の影響で、中世には仏教界で行われていた印刷がそれ以外の学問書にも広がることになり、さらに文学作品も印刷されるようになりました。最初に出版させたのは後陽成天皇で、それらは慶長勅版と呼ばれ、形態的にも気品のある、大ぶりな本です(高木さんは「惚れ惚れとする」と言っています。写真図版も載っています)。徳川家康も、思想書や『吾妻鏡』を出版させました(私はひそかに、『源平盛衰記』慶長古活字版の校訂・版行もこれと関係があるのではないかと考えたりするのですが、今のところ確証がありません)。初期の古活字版は、精密な手作業によっているので、写本の性格と共通する点が多い。同じ作品でも版面の1部分が異なったりしていて、研究者泣かせでもありますが、当時の職人気質に改めて唸ることも少なくありません。連載の次号以降が楽しみです。

なお本誌には塩村耕さん、石川透さんも書いていて、各々に読み応えがあります。

五類

COVID19を4月から、感染症法の五類に変更する、と既定のことのように報道され始めました。どうしてこの時期に?と思うのは私だけでしょうか。重症化しにくくなったとはいえ、死者の数は増え続けているのです。高齢者や基礎疾患のある人だけが亡くなっているかのように考えている人が多いでしょうが、きちんとしたデータは示されていません。

指定が五類になったからといって、COVID19の流行そのものが終熄するわけではないのに、その辺が感覚的に誤って受け止められている気がします。行動制限が軽くなり、公費が投入されなくなれば、感染は広がるでしょう。高齢者や基礎疾患のある人だけが用心すればいい、というわけにはいきません。症状は出ていないが感染している人が始終彼らに接触するようになるわけです。

長野の友人から、こんなメールが来ました。

【特養ホームに入所している友人に会いに出かけました。クラスター感染を予防するため、面会方法は2択。1つは窓越し、もう1つはライン利用とのことだったので、直に顔を見たいと思って窓越しを選びました。職員の案内で友人の部屋の窓の外(つまり、屋外)に回り、窓の中を覗き込むと、友人がベッドに横になり、手を振っていました。職員にガラス窓と網戸を細く開けてもらい、15分ほど話をしました。1人は屋内、もう1人は屋外でしたが、徐々に慣れ、気づくと大声で話していました。建物が何であるか知らない人が見たら、首を傾げたかもしれません。

面会が終わりになるころ、「今年のお葉漬けはどんな味?」と聞かれ、彼女が欲しかったものの1つは野沢菜漬であったことに気づきましたが、手遅れでした。】

切ない。