無形民俗文化財保存

小川直之さんから『文化遺産の世界』37号(2020/12 特集「無形の民俗文化財の保存」)という雑誌が送られてきたので、読んでみました。こういう雑誌があるのは知らなかったので調べると、もともとは国際航業という大手企業のメセナ事業だったものが、国際文化財株式会社として独立し、2019年にNPO法人文化遺産の世界」を立ち上げて、考古学のスタッフを中心に、雑誌発行などの活動をしているらしい。https://www.isan-no-sekai.jp/

本誌冒頭の趣意文によれば、2016年に「山・鉾・屋台行事」が、2018年に「来訪神:仮面・仮装の神々」がユネスコ無形文化遺産に登録されたが、今、後継者不足や生活様式の変化などによって存続の危機を迎えている文化財は多く、これからの継承のあり方について特集したとのこと。

小川さんは民俗学が専門、本誌に「「民俗芸能」を継承する各地の取り組み」と題して、祭や民俗芸能の現状と継承・維持の工夫について書いています。本誌には研究者だけでなく、県の職員や博物館学芸員など、現場で文化財保存に関わっている人たちの報告も載っていて、それらが面白い。福岡県京都(みやこ)郡苅田(かんだ)町に伝わる等覚寺の松会・綱打ちや、日立風流物滋賀県蒲生郡の近江中山芋競べ祭りなど初めて知る行事が記述され、写真もふんだんにあって、興味深く読みました。

成功例に共通しているのは、従来のタブーのいくつかを外し、地域を広く取って支える人たちを確保し、行政の支援も得て、若年層を巻き込んでいくという方法です。ちなみに博多祇園山笠は、一家の男たちが1年中「ちょっと打ち合わせ」と称して集まり、酒を呑んでは仕上げていく行事で、博多は店番の女房で保っとるとよ、と叔母は言っていました。

祭りの世界

中野英治さんの『『平家物語』と祭りの世界』(岩田書院 2020/12)という写真集が出ました。『平家物語』のストーリーにまつわる各地の祭や郷土芸能の写真集です。堅牢な造本で、写真がとても美しく、祭に関わる人々、特に子供の表情がよく撮れています。贅沢な本ですが手の届く定価で、コロナによる鬱屈を慰められます。

中野さんは下関出身、山岳写真が趣味だったそうですが、定年後、260箇所以上の各地の祭礼を撮り続け、個人サイトもあるらしい。https://sinjinsyaraku.jimdo.com/

本書は平家伝説(必ずしも『平家物語』が典拠ではないものも含む)に関連する画像が中心ですが、博多の祇園山笠、赤間神宮の先帝祭、和布刈神社の神事など下関・九州地区の有名な行事も活写されています。父祖の地が博多でもあり、長門本の調査で度々赤間神宮を訪れた私にとっては、懐かしい画面が一杯でした。殊に実盛虫送り行事の写真には興味を惹かれました。

軍記物語の生成と民俗や芸能の関係が注目されていた昭和期には、軍記物語研究者は郷土芸能や在地伝承にも関心を持ち、私も院生時代に徳丸北野神社の田遊び神事を観に行ったりしたし、金井清光さんが題目立について中世文学会で発表したのも覚えています。本書によれば、年々これらの催しの継承が難しくなる一方、復元された行事もあるようです。

日本人の心奥には、源平合戦の逸話が深く根づいている事実を、つくづく考えさせられました。それは文学作品としての『平家物語』をはみ出し、膨大なストーリーとして日本の山河に蓄積されてきたものです。例えば夏椿を沙羅の木に「代用」したのが『平家物語』だったという説明(p118)は誤りではありますが、各地の寺院がこの花にこと寄せて、諸行無常を日常の問題として語ってきた名残りとも言えましょうか。

受験

数年前、母校の女子大の前を通ったら、中年の男女があちこちの軒下になすこともなく佇んでいて、異様な雰囲気でした。何だろうと思ったらこの日は入試で、父兄たちが我が子の試験終了を待っていたのです。驚愕しました。

私の大学受験は共通一次以前でしたから、一発勝負です。当時は、医学部以外では女子が浪人して四大へ行くことは滅多になく、私としては背水の陣でした。男女共学の国立一期校を受験したかったのですが、試験科目の理科が2つ必要でした。高校の文系受験コースの理科は、率直に言って高水準ではなかったので、やむなく諦めました。

志望校受験の朝、別段のことはなく、ただ祖母が、朝食に鯊の佃煮を2匹つけてくれて、「首尾のあるものをと思ったけど、これしかなかったから」と言ったのを覚えています。1日目の国語古文は易しすぎて、却って不安でした。しかし苦手の数Ⅰが殆ど出来なかった(と思った)ので、もう駄目だと思い(私は数Ⅱが得意だった)、2日目は殆ど義務感で受けました。幸い合格しましたが、後日父に、2日目は行くのをやめようかと思った、と話したら、初めてと言っていいほど真剣に叱られました。何事も途中でやめるのがいちばんいけない、と。

不本意入学のその後については、勤務校の入学式記念公演で話したことがあります(今もウェブ上に録画が残っているらしい)。今年の受験生は、何かと不安が大きかったことと思います。しかし親が寒風の中で待っていたりしては、子にとっては重荷です。受験も入学も本人のことなのだから。そして今や、入試結果で全てが決まる時代ではありません。入学後の毎日で決まっていくのだし、その後も自分なりのオプションを足していくことが可能です。誰にもそれぞれに、いい結果を。

信濃国の歌

新聞の日曜版に、長野県の県歌の話が載っていました。長野県歌「信濃の国」は、冬季五輪の入場行進曲にも使われました。県民の9割超が歌えるというアンケート結果に、1割も歌えない人間がいるのか!との慨嘆があったそうで、長野出身の友人も、この歌への思い入れは格別でした。1948年に南北分県(長野は南信北信で文化が違う)案が出た時、また1953年に浅間山麓米軍演習地誘致案が出た時、ひとりでにこの歌の大合唱が始まって、県民の一致団結が全てを決した、という話も聞かされました。

今でも、選挙に勝利した万歳三唱の後にはこの歌の大合唱になるそうですし、長野出身者に(どんな場ででも)「信濃国の歌、歌えるか」と訊くと、きっ、となります。1900年、県の地理歴史を採り入れた教材として、師範学校から広まったことは、初めて知りました。さすが教育立県の長野。私は湘南育ちですが、神奈川県歌があるのかどうかも知りません。まして都歌なんて(あるのでしょうが)、聞いた記憶もない。

現役の大学教員だった頃、卒論指導をした男子学生が、大手スーパーに就職が決まり、級友2名と共に挨拶に来ました(以前は当たり前のことでしたが、近年はこういう挨拶に来る学生は珍しくなりました)。彼は部活は野球部、卒論も堅実な、いいものでした。在学時から、これからは流通だ、と考えて、スーパーでアルバイトをし、人脈を作ったそうです。初任地が松本だと言うので、信濃国の歌が歌えないといけないよ、という話をしました。他の2名はただ笑っていましたが、彼は真剣な顔で聞き、すぐCDを買います、と言っていました。

今頃、どうしているでしょう。新人歓迎会で堂々合唱し、一気に融け込んだに違いありません。卒論指導よりこの助言の方が、彼には「恩師」の言になったかも。

罰則

インフルエンザ等対策特別措置法や感染症法改正が急がれ、罰則規定が盛り込まれようとしています。前者には休業要請などに従わない事業者に対して、後者には発病後入院勧告に従わない個人に対して。法学者や医師から反対声明が出ていますが、政府はまもなく国会へ提出しようとしているようです。

私は法律には全くの素人ですが(条文作成や施行には、という意味です。しかし施行される側としては、誰一人素人ではいられない)、いまこの時期に、この内容を決めるには大きな不安を感じます。まず、こんな重大なことをばたばたと決めてしまうやり方は、危ない。時限立法か、現在のCOVID19に限定してならともかく、将来も通用する法律として、国民が感染拡大に怯えているこの時期に、一気に決めるのは冷静さを欠きます。

営業時間短縮や休業に関しては、協力要請と協力金のセットというのが正しいやり方だろうと私は思っています。天災に等しい、進行形で対応するしかない感染症について、国や地方自治体が全責任を負って補償するというのは無理があり、ただ要請に伴う多様な支援が、どれだけ有効に実施されているかが肝心。しかし違反を罰するなら要請ではない。

入院拒否に対する罰則には、現状に鑑みて疑問と強い懸念を抱きます。この案では強制収容も同然ですが、いま多くの患者が入院できずに宿泊施設や自宅で療養している現状と、全く釣り合わない。これまでホテルや自宅で亡くなった例も複数あり、医療は施されず、軟禁同然で病状確認を怠ったまま亡くなったような場合、責任者は業務上過失致死罪には問われないのでしょうか。そもそも責任者は誰になるのでしょうか。

最後に。NHKは、昨年初冬に取ったアンケートにより、人権の制限もやむを得ないという「世論」を放映していますが、条件の違う時期のデータを出すべきではない。

猫柳

暖かい日差しが戻ってくると、コロナで鬱屈していた気分が幾分か和らぎます。人間界が右往左往していても、季節は確実に春へ向かっている。今年は花屋の仕入れが間に合わず、我が家の庭では未だ、菊と観賞用唐辛子が主役を張っています。細々と白い小花をつけていたアリッサム(庭薺)を日の当たる場所へ出しておいたら、次第に紫色になり、じつは白花ではなかったことが判明。太陽は偉大だと、改めて思いました。

実生の侘助に、今年は7箇の蕾がつき、うっすらと紅色が差してきました。近所の家の白椿から実を失敬してきて播いた所存が、じつは後ろに隠れていた紅の侘助の実だったのです。一昨年に初めて3輪咲きましたが、もはや鉢が小さすぎるらしく、葉色に元気がなくなって心配していました。去年の夏の終わりに発蕾に気づき、これ以上大きな鉢には替えられない(私が持ち上げられなくなる)ので、日々詫びながら水を遣っています。実生のとちおとめが2綸目の花をつけ、リルケ忌には間に合わなかった薔薇の蕾も、日増しに膨らんできました。

素馨花にも蕾が見え始め、今待っているのは胡蝶蘭ムスカリの蕾です。そして楽しみは、年末に買った猫柳の挿し木。正月用に買ったのですが、根元から発根していたので、切り落とした部分も貰って来ました。銀白色に輝く芽が美しい。鉢に挿して、朝、その梢だけに日が当たっているのを見ると、希望の象徴のように思えます。

ところがー挿してからはっと気づいたのは、これは水辺の植物だということ。ネットで調べると、株の根元は水に浸かっているくらいがよい、とある。しまった!池のない我が家でどうやって育てるのか。盆栽仕立てにもできるようですが、芽が開けば普通の柳になる。後先見ずに植えた責任を、どう取ればいいでしょう。

コロナの街・part16

混んでなさそうな時間帯を狙って買い物に行くのですが、街は老若男女、人出が減りません。政府の広報はけっきょく、人々に、マスクをしていれば大丈夫、という刷り込みをしただけに終わったのではないか、と思うほどです。20時以降は外出を控え、飲食店に入らず、会食するなら4人まで、という指示は果たして、「緊急事態宣言」と呼ぶに相応しいでしょうか。何とも中途半端です。

20代の感染者が増えていることは、じつはとても怖い事です。発症しない、しかし体内にウィルスを飼っている人間が、活発に歩き回る。目に見えない運搬・拡散が、そこら中で起こっているということだからです。ひとたび発症すれば、医療側からは軽症でも重症でも負担はそれほど変わらない、という声が上がっています。防護服や消毒の必要性は同じなのですから。

マスメディアが、高齢者と若者を分けて注意を喚起しているのは不適切です。年齢に関係なく、体力の有無が問題なのであって、世代で分断する考え方は他人事としか響きません。大事な人のために我慢して、という綺麗事的呼びかけは、毎日満員電車でリスクに晒されながら、平気平気、自分は罹らない、罹っても重症化しない、と自分に思い込ませて日々を送っている人たちの胸に、まっすぐに食い込むでしょうか。

すでに医療崩壊は始まっています。コロナ対応の病院に入っても、重症者の4割が相応の治療を受けられない状態だという。ワクチン接種が始まれば全てが一気に解決するわけでもありません。今は非常時、しかしなるべく早くこの事態を終わらせるにはどうするのがいいかーお上任せにせず、めいめいが考える必要があるのではないでしょうか。GoToがどれだけ誤解を招くメッセージになったか、分かろうともしないお上ですから。