川越便り・杜鵑篇

川越の友人から、「蛇足」と銘打ったメールが来ました。先日、本ブログで私が、竜胆の花はないのか、杜鵑草の花には斑点がなくちゃそれらしくない、と書いたのが気になっていたらしいのです。

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川越花便り・卓上篇

秋薔薇を切って硝子瓶に挿してみたとあって、白は「エルヴィス」(プレスリーに捧げられた)、ピンクは「ジャルダン・ドゥ・フランス」、オレンジは「フリュイティ」 という品種だそうです。花に大小があり、色の配合もいいですね。ちゃんと普通の杜鵑草もあるぞ、というメッセージで挿し添えられた小枝が、意外にもアクセントになっています。

メールには、[キイジョウロウホトトギスにもしっかり時鳥の胸毛のような斑点がありますよ。花は下向きに咲くので、下から覗くとやっぱり時鳥だなと分かります。数年前のちゃんと咲いた時の鉢を見てください。]とあります。写真からは鳴子百合を連想しました(同じ百合科)。なるほど内部には臙脂色の斑点があって、普通の杜鵑草より西洋風です。竜胆は早咲きが終わり、蝦夷竜胆は未だ蕾が堅い、とのこと。

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黄上臈杜鵑

久しぶりに西片町のスーパーへ出かけ、竜胆の切り花を衝動買いしてしまいました。我が家はいま、夏の花の名残を剪って活け、秋色を演出しています。洗面台には代赭色のコリウスに羊歯と雪花葛の蔓を。遅れて満開になったランタナ常滑の花瓶に挿して仏壇に(橙色の花と濃緑の葉が紫檀の仏壇によく似合いました)。当分切り花を買う予定はなかったのに、川越の青い花園の魔力に引っかかったかもしれません。深い紺青の花と草紅葉し始めた葉を辰砂の瀬戸に挿し、卓上に置いて足早な秋を惜しんでいます。

コロナな日々 8th stage

叔父の一周忌が近いので、皮膚科を開業している従妹に電話を掛けました。クリニックは完全予約制にして、消毒用アルコールを使いながら営業している、高齢者施設の訪問医療も引き受けているので、外食もしない、人と会わない、マスクとゴーグル装着で自宅と仕事場の往復だけで暮らしている、とのことでした。そっちはどう?と訊くので、明らかにフレイルが1段階進んだ、運動不足と他者との交流がないから、と答えたら、そういう人は多い、とのことでした。

老人ホームにいる従姉には、面会制限があるため会いに行かれず、せめて果物でも、と梨を送ったのですが、御礼の電話で、嚥下が難しくなってきたと言われてはっとしました。春に焼菓子を送った時は何でもなかったのに、お喋り好き、旅行好きの彼女には過酷な半年だったようです。年寄りに、突然食物を送りつけてはいけない、と反省しました。

そう言う自分自身も、最近は、拘禁ノイローゼの初期ってこんな風かなあ、と思うことがあります。人を避ける、避けられる、いつ遠出できるようになるのか見通しが立たない。現役の人たちはオンライン授業をめいっぱいでこなしている内に、はや入試対策に逐われているようで、邪魔にならないことが大事、と自戒しています。家の中でやる仕事は山ほどありますが、目に見えない鉄壁に囲まれているような閉塞感が募ります。東京五輪が終わるまで、いや五輪後の大感染が収まるまで、こういう日々が続くのでしょうか。

仲間たちが写真つきのメールや郵便、各地の名産を送ってきて、励ましてくれます。毎朝、ツイッターで「今朝 花」とか「今朝 富士」とか、空や猫などでも検索すると、知らない人たちの1日の始まりに元気を貰えます。殊に富士山の写真は完成度が高い。我が家は今年、富士霊園への墓参は出来ませんでした。

衝撃の万葉集伝本

田中大士さんの『衝撃の『万葉集』伝本出現―広瀬本で伝本研究はこう変わった―』(はなわ新書 美夫君志リブレ)を読みました。田中さんとは、2004~06年度科研費(C)による共同研究「汎諸本論構築のための基礎的研究―時代・ジャンル・享受を交差して―」に講師としてお招きして以来のお付き合いですが、正直に言って、当時私には広瀬本の研究上の意義がよく判っていませんでした。

本書は172頁の新書判に収めるべく、問題点を思い切って整理し、細部の論証は省いています。1993年にその所在が世に知られた、天明元(1781)年奥書のある全巻揃いの写本―広瀬本を通じて何が判ったのか、『万葉集』本文の伝来をどのように推測するのかが一気呵成に説明されます。周知のように『万葉集』は、平安初期にはすでに、考証なしには読めなくなっていました。殊に長歌は、すべてに訓をつけたのは13世紀半ばの仙覚でした。広瀬本の訓や題詞の書式を手がかりに、従来の研究を批判的に照合することによって、本文の伝来を中世まで遡ることができたのです。

専門外ですが、元暦校本とか『校本万葉集』とかは大学院時代、五味智英先生のゼミで使ったことを思い出し、改めて諸本研究の歴史と方法について、考えるところがありました。『万葉集』研究では、中世の仙覚の校訂、そして近代の校本作成が、研究史に不動の画期をもたらしたのですね。『源氏物語』でも、池田亀鑑の仕事が永らくそういう位置を占めていました。流動性本文である『平家物語』の場合はどうか―あるべき諸本研究の共通性と対象ごとの相異を、我々は充分理解してきたと言えるだろうか。

ちょうど、伝本評価の視点に関する原稿を1本手放したところで読んだので、タイミングは最適というか、最悪というか―日昏れて道遠し、の感を深くしました。

阿波国便り・牧水篇

徳島の原水民樹さんからメールが来ました。本ブログの牧水の歌を見て、自分はこの歌が好きだが、という内容です。

紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべ蜩(かなかな)のなく

牧水の歌には「かなし」とか「寂し」といった感情語が多く、しかしその内容が通常の感情よりも複雑で、そこが青春時代の記憶に突き刺さるのでしょうか、ほかの方からも自分が好きなのはこれ、というメールを頂きました。私はツイッターはやらないのですが、「好きな牧水の歌は」という#を作ったら、けっこう多くの投稿があるかもしれません。じつは、私が10代で惹かれていたのはこんな歌でした。

うらこひしさやかに恋とならぬまに別れて遠きさまざまの人

酌とりの玉のやうなる小むすめをかかへて舞はむ青だたみかな

海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり

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歯磨きするさくら

原水さんのメールには、愛犬さくらの写真が添付されていました。

[さくらは、私のまねをして歯ブラシを使いますが、たいてい、毛先と柄が逆になっています。(原水民樹)]

かわいいですね。愛犬家の原水さんならずとも、思わず微笑んでしまいます。コロナ疲れの皆様にもおすそ分け。

秋草の園・完

若山牧水の「かたはらに秋ぐさの花かたるらく」という歌は有名で、小諸城趾に歌碑が建っていますが、私は若い頃、彼のこんな歌が好きでした。

吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ(『別離』)

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杜鵑(桃源)

メールの添え書きには、以下のようにありました―[丈の低い小さな花を咲かせる園芸品種です。台湾や西表島に普通に咲く品種からの改良品種なので、夏の暑さに強いです。私は黄上臈杜鵑(キイジョウロウホトトギス)が好きなのですが、これは紀伊半島の山間部に多く自生し、いくつかの町が町おこしに利用し、毎年花の時期は関西方面からの観光客が大勢出かけるらしい。ただ、湿った岩場を好むので、直射日光に当たると葉焼けして根から枯れてしまいます。毎年苦労して咲かせていたのですが、今年はほとんど蕾を付けず、やっとのことで生き延びている感じです。可哀想なことをしました。]

黄上臈杜鵑は、偶然ツイッター上で見かけましたが、小さな百合のような感じでした。やはり時鳥の胸毛に似た斑点のある花でなくっちゃ。あの斑点は、若い頃は蕁麻疹を思い出して好きになれませんでしたが、年をとってからは、下葉がすこし枯れたのを玄関に活けたりすると、この季節にぴったりで、いいなあと思います。

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野紺菊

川越花便りの秋草特集も、今年はこれで完結です。

摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我等があとにとほく続きぬ(若山牧水『独り歌へる』)

秋草の園・その3

川越花便りの続々篇です。沢桔梗は湿地を好む丈の高い草本。花は桔梗に似ていませんが、花弁が裂けているように見えるだけで、ミゾカクシの仲間。調べたら、ロベリアと同類だと分かって納得しました。

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夏櫨と沢桔梗

背景の夏櫨の紅葉を褒めたら、鉢でも育てられるよ、と勧められました。しかし幼少の高倉天皇のように寛大になれるかどうか(『平家物語』巻6「紅葉」に有名な逸話がある)、自信がないので辞退しました。

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シモバシラ

[名の由来は、花が霜柱みたいだからではなく、寒くなると、根本の枯れた茎に水滴が凍り付き、まるで霜柱のように見えるからです。今年は消毒をしなかったので、葉が虫に食われてひどい状態です。]と、添え書きがありました。

シソ科です。この時期はすこし葉が枯れたり、虫食いがあるのも風情のうちでしょう。それにしても、もはや都内で育った人にとって「霜柱」は、 辞書の中の言葉かもしれません。小学校の頃、湘南地方でも朝は霜柱を踏んで登校しました。ざくざく崩れる触感が面白くて、わざと踏んだものです。40年前、南町田に通勤した頃も、寒い日には日陰の叢の根元に霜柱が見えました。

秋草の園・その2

川越の山野マニアの花便り続編です。

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秋桐

この花は見た覚えがないな、と思って調べると、シソ科で、その仲間には私がサルビアの一種だと思い込んでいたものもありました。

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段菊

これもあまり露地では見かけませんが、大ぶりにばさっと活ける、近代ビルの盛り花の中に見たことがある気がします。外来種だと思っていましたが、秋桐ともども日本風の名前がついているところから推すと、以前から栽培されていたのでしょう。未だ蕾です。我が家では春先には紫系統の花が多いが、秋は赤や黄色など暖色系統の花が多い。でも考えてみたら、川越では周囲に落葉樹が多く、紅葉の中で見れば寂しくないのでしょうね。

鳥兜や竜胆はないのか、と訊いたのですが、ないようです。鳥兜は毒草ですが、剪って活けると、ほかにはない存在感のある花です。竜胆は花屋で売っている頑丈なものでなく、林の下草に混じって、草紅葉しながらそっと咲く姿が愛おしい。益子の浜田庄司記念館で、足元に咲いていた一輪を思い出します。

枕草子』で、春の花尽しが木の花ばかりなのを不審に思ったことはありませんか。俳句の季語でも「草の花」「花野」は秋。思うに日本古来の春の草花は菫くらいで、後は外来種が多かったのでしょう、紫雲英も蒲公英も。それに対して、去りゆく彩りを惜しむ秋の野は、萩や薄、苅萱なども含めて草を掻き分けながら歩くのが万葉時代以来の楽しみ方だったのです。きらめく露や、虫たちの声をも心に留めつつ。