中世文学65号

中世文学会の機関誌「中世文学」65号が出ました。2019年度の大会シンポジウム「中世の仏教と芸能」、講演2本、論文3本が載っています。

私が最も眼を開かれたのは、佐藤弘夫さんの「彼岸への階梯ー「陸奥国骨寺村絵図」のコスモロジーー」でした。最近は体力的に2日続けて学会に出るのが辛くなり、講演は聞きそびれたのですが、翌日後輩たちから口々に、あれがよかった!と言われて、論文が出るのを待っていたのです。中尊寺蔵の一関市本寺地区絵図(13~14世紀、堺争論のために制作された)をもとに、中世人たちの生と死の世界観を推定しています。日本の中世においては、浄土はこの世と彼岸との二層を成しており、前者は風光明媚な勝地が選ばれ、死者を彼岸に送り出す「装置」がしつらえられ、死者はそこから来迎仏に抱き取られて遠い彼岸に旅立つと考えられていた(古代には死後の世界に区別がない)。そして堺争論のための絵図は、実際の土地を平面に描きながらも上述のような想念上の空間をも表しているというのです。いろいろなことがどっと一度に納得できました。

シンポジウムは実際に聞いたのですが、中でも石井公成さんの「太平記読み、狂言、玄恵法印ー学問・文学・芸能をつなぐ僧ー」が面白かった。話の中には部分的に事実と違う点もあるかもしれませんが、太平記狂言の作者だと伝承される玄恵法印「のような人」の像が描き出され、伝承作家というのはそういうものだなあと納得しました。

論文では、児島啓祐さんの「『愚管抄』の文体とその思想的背景」、江口啓子さんの「男装と変成男子ー『新蔵人』絵巻に見る女人成仏の思想ー」の問題提起が堅実かつ清新で、面白く読みました。仏教と文学の関わりが、きちんと捉えられた論考でした。

源平の人々に出会う旅 第43回「落人伝説・安徳天皇」

 元暦2年(1185)3月24日、平家一門と供に壇の浦に沈んだ安徳天皇ですが、実は密かに落ち延びた、などの伝説が日本各地に点在しています。

【水天宮】
 久留米市にある水天宮は、全国にある水天宮の総本山で、天之御中主神安徳天皇平徳子二位尼時子を祭神としています。徳子に仕えていた按察使局伊勢がこの地に遁れ、水天宮を祀ったとされています。

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【安德天皇墓所
 俊寛らが配流された鬼界ヶ島の候補地である硫黄島には、平家一門と供に安徳天皇が落ち延びたという伝説も存在します。安徳天皇は黒木御所に居住し、櫛匣局(平資盛の娘とされる)との間に隆盛親王を儲けたとされています。

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【岡益石堂(宇倍野陵墓参考地)】
 安徳天皇二位尼は、壇の浦で離脱し、鳥取県へ落ち延びたという伝説もあります。岡益石堂は、石室に囲まれたエンタシスの石柱で、安徳天皇の陵墓と伝わります。

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【長通寺】
 岡益の石堂に近接する長通寺には、安徳天皇と平家一門の位牌が祀られています。

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〈交通〉
水天宮…JR久留米駅
安德天皇墓所…鹿児島県・硫黄島
岡益の石堂・長通寺…JR鳥取駅よりバス
               (伊藤悦子)

湊川合戦図屏風

伊藤悦子さんの論文「『湊川合戦図屏風』についてー粉本の視点から読み解くー」(「古典遺産」69号)を読みました。『太平記』巻16の湊川合戦を俯瞰的に描く、個人蔵・和歌山博物館寄託『湊川合戦図屏風』を取り上げ、粉本によったと思われる図様を手がかりに、香川ミュージアム所蔵『一の谷・藤戸合戦図屏風』との関連や両屏風の制作意図を推定しています。

屏風絵の比較研究は研究史の蓄積も薄く、そこから何が判るかという問題も容易ではないと思いますが、伊藤さんは、『太平記』を題材にした珍しい合戦図屏風を、諸本の多い一の谷合戦図屏風と比較、共通の粉本があったらしいことを指摘、さらに物語の中では名誉な場面とは言えない場面が中心に据えられていることから、逆にこの屏風絵が佐々木氏の武名を誇る意図で制作されたのではないかと考えました。着眼のすぐれている点は、物語の中での意味づけを読み換え、絵画の中での意味づけを発見していることです。絵画資料が単に本文の絵解きではなく、別の意味を担わされているという読みは、重要でしょう。

印刷事情からやむを得ないかもしれませんが、論証過程で重要な図が不鮮明なことは残念です。なお図1,2・・・と番号を振るだけでなく、キャプションに(略号でもいいから)、どの屏風の絵なのか判るように示して欲しかったと思います。また論文中に「リニューアル」という語を使っていますが、こういう日常語は意味が曖昧で、避けるべきでしょう。この語では「新しくした」ということしか分からないが、後補なのか描き換えなのか、どういう操作が加えられているのかが限定できる語を用いるべきです。

文学と美術の双方に跨がる課題は、未だ方法論も確定しておらず、これからの分野ですし、学際的な交流が必要だと思われます。勇気ある前進を期待したいと思います。

胡瓜

胡瓜と言えばかつては河童を連想したものでしたが、今では説明が必要でしょう。旧盆の前夜に苧柄を燃やして迎え火を焚き、茄子や胡瓜に足をつけた乗り物を用意して先祖の霊をお迎えした風習も、東京でも20年前までは残っていましたが・・・

英語では、冷静なことをcool as  a cucumberというのだそうで、蔓にぶらさがった様なのか、皿に乗ったサラダなのか、母国語でない人間には今ひとつイメージできません。今どきの胡瓜畑では風が吹くと、カラカラと音がする、曲がらないようにプラスチックのコルセットをはめるから、という話を聞いたことがありますが、ほんとうでしょうか。

今は季節に関係なく八百屋に出ますが、胡瓜はやはり夏が旬です。家で生り過ぎたからと言って、学生が5,6本新聞紙に包んで宇都宮から届けてくれ、スティックにしたらマヨネーズが邪魔なほどみずみずしく、美味しかったことがあります。小さめのものは薄く輪切りにし、ラディシュも同じように切り、冷たく冷やして中華ドレッシングをかけると、見た目も夏らしい小鉢ができます。太くても縦割りにしてわたを削り、ピクルスにできます。一晩薄い塩水に浸け、翌日甘酢に漬けます。月桂樹と唐辛子、それにお好みの香料をたっぷり、和紙に包んで一緒に漬けます。クローブ、セージ、ナツメグその他、お好みです。2日もすれば食べられますが、保存も利きます。

鶏肉との炒め物は夏向きのスタミナ食。胡瓜をごろごろ乱切りにして、鶏と一緒に塩胡椒で炒めます。少し鶏肉の脂が出た方がよい。胡麻油を足せば香りが楽しめます。旬の胡瓜には甘みがあるので、味付けは心持ち濃いめに。コンソメ顆粒を振ってもいいかもしれません。

でも、極めつけはやはり糠の古漬ですね。

軍記物語講座完結

軍記物語講座第2巻『無常の鐘声』が出ました。刊行順では本巻が最後ですが、シリーズ本来の構成は以下の通りです。

1『武者の世が始まる』 将門記陸奥話記・後三年記・保元物語平治物語・承久記

2『無常の鐘声』 平家物語

3『平和の世は来るか』 太平記

4『乱世を語りつぐ』 曽我物語義経記・室町軍記・戦国軍記概説・家伝・幸若舞

 ・御伽草子

詳細は花鳥社の公式サイト新刊案内 https://kachosha.com を御覧下さい。

本シリーズは、最新の軍記物語研究を満載するに留まらず、各執筆者に①20年先の軍記物語研究をイメージして ②仲間内の研究者だけでなく、他分野の研究者にも、また文学愛好家にも分かりやすく書いて下さい というお願いをしました。結果的に、各研究者の個性と研究分野の現状とを反映して、多彩な4冊になりました。論文57本と軍記物語年表、それに太平記の諸本ごとに記事の有無が一目で判る対照表、源平盛衰記の国内地名索引など、研究を助けるツールが収められています。各巻付録の「しおり」搭載のコラム11本も含めて、和歌や歴史、絵画や芸能などの視点も織り込みました。

概説書や事典、手引書とは異なる意図で企画しましたので、これを読めば直ちに研究テーマや方法が見つかるわけではないと思いますが、国文学にはこういう方法や問題意識があるのか、という発見があるでしょう。表紙や装幀も、楽しんで頂けると思います。手に取って読むのに重すぎないよう、執筆者には枚数制限を厳守して頂きました。版元からもアマゾンでもお取り寄せできます。

廃業・その後

4月末日に廃業したかかりつけ医。蓄積したカルテは貰えないのかと尋ねに行ったら、インタホン越しに断られたのですが、2,3日して電話がかかってきました。

週刊ポスト」が折しも「かかりつけ病院がある日、突然潰れたら・・・」という記事を出したおかげかもしれません。或いは、インタホンの前で「十何年もかかりつけだったのに、閉院後何日も経ってから葉書を寄越すなんて」と抗議したのが効いたかもしれません。電話で、カルテは渡せないが内視鏡や血液検査結果のコピーなら渡せる、というので、再訪して貰ってきました。考えてみれば、カルテには医師の判断がメモされているわけで、我々の世界で言えば、論文に書くタネを生のまま渡してしまうようなリスクがあるのかも、と「理解」することにしました。

週刊ポスト」によれば、カルテは5年、レントゲン写真は2年間の保存義務があるのだそうで、病院は行政の管理下にあるから夜逃げのようにいきなり閉鎖されることはない、入院中なら、転院のためにカルテや検査結果のコピーを要求するのは患者に認められた権利だというのですが、私のように、定期健診と何かあったときに駆け込むだけの利用者は、あちらからは、かかりつけという範疇に入っていなかったのでしょうか。

かかりつけ医の紹介を通さないと大病院の診療を受けにくくなった今日、そして高齢者が増えた今日、既往症や長年の体調変化を知って治療方針を決めてくれるかかりつけ医を持っていたい、というのは当然。これから、後継者がいること、往診可能であること、そして病歴にリスペクトを持てる医師を探そうと思いました。若い時のように、その都度不調な部位の検査をして、対症療法を施すだけの医師では頼りにならないからです。

コロナの街で、輸入文具店やワインバーなど、小さな店が次々撤退していきます。

川越花便り・7月篇

川越の友人から、久しぶりにメールが来ました。コロナで延び延びになっていた腸内ポリープの切除手術を済ませたとのこと。癌ではない、と判って一安心したそうです。

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キツネノカミソリ

植物図鑑で知っていたキツネノカミソリの実物を初めて見たのは、晩夏、臼杵の石仏を再訪した時のことでした。初めて来た時よりも崩壊の進んだ石仏の前に、一面、つくつくと赤い花を捧げていて、奇妙な風景でした。仏前の灯明のようにも見えました。3度目に訪れた時は、大仏の修理や保護が行われ、あの神秘的な雰囲気はなくなっていました。

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シキンカラマツとフシグロセンノウ

カラマツソウは、ときどき栽培されているのを見かけますが、ちょっと西欧風な雰囲気です。キンポウゲの仲間とは意外でした。

伏黒仙翁(右手の橙色の花です)はナデシコの仲間。仙翁花は古くから、前栽の植え込みに相応しい草花として愛好されていたようで、『平家物語』の登場人物を花に喩えて論評した『平家花揃』という小品(室町期の成立)にも出てきます。

山野草好きの友人の庭。よく見ると、チダケサシやホトトギスの葉も写っています。オカトラノオやホタルブクロは植えてないのかしら。

追記:友人からの返信[オカトラノオは水が必要なので、鉢植えを水鉢に入れて栽培していますが、今年の天候のせいか、まだ咲きません。もしかすると今年は花をつけないかもしれません。ホタルブクロはあちこちに広がり過ぎて困るほどです。だいぶ前から咲き続けています。ホトトギスも増え過ぎて困るものの一つです。我が家の庭には4種類のホトトギスがあります。]

益子の浜田庄司記念館を訪ねた日、雑木林にオカトラノオの白い花房やホタルブクロの薄紫の花が埋もれて、ひっそりと雨滴の落ちる音だけがしていたことを思い出します。