痛快さ

 高校時代、古文の授業で平家物語の「殿上の闇討」を読みながら、私は何だか痛快で笑ってしまいました。しかし教師(文学少女そのままの女性教諭でした)は、公家たちの「意地悪」を徹底して嫌悪し、ひどい!と評したのです。私は自分も「ひどい」人間になったような気がして、赤面しました。でも、あの時何故自分は笑えたのだろう?という疑問が、ずっと心に引っかかりました。後年、教材として読み直したとき、私は、この場面が「意地悪」とか「ひどい」とかいう評語では括れない、新興階級のすばらしさ対旧特権階級の無力さ、などともべつの意味を持つことを理解しました。
 この事件が事実かどうかは分かっていません。しかし、成り上がった田舎者を殿上人たちがいまいましく思って闇討を計画し、それを忠盛は冷静な機略と部下の献身とで切り抜け、後日の訴訟に院をして「弓箭に携はらむ者のはかりことは、尤もかうこそあらまほしけれ」と言わしめ、郎等の振る舞いも「且つうは武士の郎等の習なり」と認めさせた、そのときが朝廷に武家の論理が持ち込まれた歴史的瞬間であったことが、納得されます。雑多な要素が絡み合い、長時間に亘る歴史的変化が、この場面によって象徴されているのです。抑止力としての武器携行、忠盛の頭領としての沈着さ、退出を求められた際の郎等の言い分、主を待ち受けて発した質問、それぞれが宮廷では異質の決然たる緊張感を持ち、悔し紛れに得意の言語遊戯で鬱憤を晴らすしかない殿上人たち(彼らの世界では、言語による屈辱は死傷にも値した)との文化的相異が鮮やかに照らし出されます。相容れないもの同士が摩擦を起こしながら交わっていく、その現場が劇的に再現されました。
諸処に見いだされる短文、繰り返し、部分的な文体の変化などの表現上の工夫も、息を呑むような緊張を苦笑に包んで伝える効果をもたらします。そう、平家物語の魅力の一つは、この痛快さにあるのでした。