コロナな日々 4th stage

ずっともやもやしていることがありますー休業要請と補償はワンセットだ、という主張についてです。必要に迫られていることは理解できますが、コロナ対策=政府の要請→収入補償という図式ですべてを捉えるのは、正しいでしょうか。

新型ウィルスの流行そのものは、一種の天災だと私は考えています。しかしその初期対応を誤り、その後の見通しがふらつき、発する対応が的外れで、しかも遅い、というのはたしかに行政の責任と言えるでしょう。そのために生じた被害は小さくありません。総括をする折には、その点をきちんと記録して後の参考にしなければなりません。ですが、この非常事態を放置して(ますます被害を拡大させ)、それでも営業の自由が優先するのでしょうか。爆発的な患者・死者が出ても、営業が成り立ちますか?

これが風水害や大地震だったら、被害は起こった後で目に見えますが、これから起こる未知数の被害をどれだけ少なく食い止めるか、という選択、それが休業要請だったわけです。先の読める天災ならば、各人がそれに備えをするでしょう。先の読めない災難の対策は、誰かが代表として決断しなければならない。とすれば、選ばれた選択の一部は、我々も為したことです。すべてを国や自治体、「お上」のせいにするのは筋違い、いや危険です。「責任は私にあります」とは言うが決して責任を取らない政治家が、「皆さんにご迷惑をおかけしています」などと言うのに乗せられてはいけません。

内神田で(道楽の)居酒屋を開いている人が、都から補償して貰わないと潰れちゃう、と言ったとの報道を見て、もやもやの内容が分かりました。職業にはつねに幾分かのリスクはつきまとう。必死の努力でも叶わぬ部分を助けてくれと言うのは恥でも何でもない、言いましょう。でも、いま全部を他に要求したら、駄目になるのは誰でしょうか。