匂ひをうつす袖の上に

神田川を見下ろす一室で、終日写本をめくって過ごしました。土手には河津桜が咲き始めているのを教えられました。内容や語句だけに注意を向けるのでなく、書写の手の跡を辿って見ていくと、いろいろなことが見えてきます。書写の速度、筆の使い方、誤写の原因とそこから推察できる書写者の意識・・・書誌学は殆ど素人に過ぎない(ただ必要に迫られて、たくさんの本を見てきた)私が言うのは烏滸がましいのですが。

書誌学は新しい学問で、私たちが学部生の頃、たしか国立大学では初の書誌学講座(半期でしたが)が3年生用に設けられ、著名な書誌学者が講師に見えました。あちらも大学講義は初だったのでしょうか、私たちの知識がどのくらいか測りかねて、まず、「いろは」を書かせられました。私たちは2年から古典の演習があり、ごく普通に古辞書類を引く毎日だったので、何を要求されているのか分からず、面食らったものです。

若い頃、何も判らぬままやみくもに見て歩いた大量の古典籍―さらに最後の職場では、図書館の古典籍の蓄積が桁外れだったので(元禄以降は貴重書扱いではない)、写本・版本を日常的に手で触って確かめる経験ができました。両者は知らぬ間に結びついてきたようです。書誌学は一種の職人芸だと思っていたので、この年になって、書写の跡を辿る調査を通して、新しい知見を求めることになろうとは、考えもしませんでした。

閉館時間ぎりぎりに予定の調査をほぼ終えることが出来、細かな雨が降り始めた街へ出ました。夕闇の中、バスを降りると、濡れ始めた地面の匂いに混じって微かに甘い香りがしますーどこかに梅の花が咲いているのでしょう。定家なら、こんな時どう詠むのかなあ、と思いながら帰りました。