太平記の構想論

大森北義さんから手紙が来ました。『平和の世は来るかー太平記』(2019 花鳥社)に構想論を書いて貰うはずだったのですが、血流の病気で倒れ、締切に間に合わず、まえがきで小秋元段さんがそのことに触れています。入院先からの電話でも、書きたいことがある、と熱く語っていました。『太平記』の序の思想とその後の内容との関わりについて、ずっと考えてきたが、30年かかってようやくこの頃、「太平記が見えてきた」とのこと。私たちもその先が知りたいので、単著を出すようお勧めしておいたのです。版元も決まりました。許諾を得て、手紙の一部を引用します。

[軍記物語講座第3巻『平和の世は来るか』は、専論がそれぞれに深く広くなっており、いろいろと教えられました。その1つは君嶋亜紀「南朝歌壇と『太平記』」の提言(p118)で、「『新葉集』がなければ南朝の人々の造型はもっとやせ細ったものになっていただろう」「古来の価値観が崩壊し多様化したこの時代の人々の思いを多角的に捉えていく」という辺りに共感しました。

2つ目は、呉座雄一「南北朝内乱と『太平記』史観」です。私は呉座氏の論(p225)とは異なる見解を持ちますが、p227「〈王権への反逆者の物語〉という『太平記』当初の構想が、私たちの歴史認識を規定してきた」と、『太平記』史観の根底に『太平記』当初の構想があったとするのは、『太平記』研究者の発言の仕方に問題があったと感じており、詳細は今準備している論文で論じるつもりです。

単著の準備ですが、少しずつ旧稿に筆を入れており、今年いっぱいで何とか仕上げる積もりです。古い考えは捨て、新しい考えで〈『太平記』の文学〉を論じ、新論も加えて新たな地平を示すことができればよいがと思っています。(大森北義)]

楽しみにお待ちしたいと思います。