神楽坂

今成元昭さんの訃報に接しました。ちょうど平家物語の成立と日蓮遺文の関係について、『平家物語流伝考』(1971 風間書房)を読み返していたところだったので、衝撃でした。

今成さんはいささか暴れん坊の、論客でした。『方丈記』末尾の署名が長明でなく蓮胤であること、その事実が中世人にとっていかに重いものであるかを論じたことは、近代人の苦悩を投影して古典を読んでしまいがちな私たちにとって、いつまでも拳々服膺すべき指摘でしょう。

若い頃は可愛がって頂き、立正大学で使う流布本平家物語のテキスト(双文社)作りのお手伝いもしました。夜中に大酔して電話をかけてくることもあり、農芸高校の定時制に勤めていた頃、神楽坂で呑むから来いと言われ、ちょうど終業式で早く終わったので、白いシクラメンの大きな鉢を抱えたまま出かけました(園芸実習の成果が、希望者には終業式の日に安く頒布されたのです)。

ちょっと引っ込んだ路地にある飲み屋で、女将はもと芸者だった(神楽坂芸者は気っ風で有名です)そうで、私は盃の持ち方がわるい、酌をする時の徳利の持ち方がわるい、といちいち叱りつけられながら呑みました。いやしかし、私は堅気の素人女なんだから、と思いましたが、それが今成さん(が連れてきた若い子)への愛情表現だということだけは解ったので、帰りがけに、杉並からはるばる抱いてきたシクラメンの鉢を置いて出ました。街中に、「シクラメンのかほり」という歌が流れていた年のことです。 合掌。