和漢混淆文

堀川貴司さんが花鳥社の公式サイトに、和漢混淆文のことを書いています。「和漢混淆」文は、和文と漢文の混融したものと考えるより、じつは和文と漢文、それぞれに雅体と俗体があり、俗語俗文、つまり俗体の要素も混淆して三巴になっていると考えた方が実態に近いというのです。そして、その俗体の実例として聞書、講釈の文体を挙げています。

平安末期から中世、それも中世前期から後期へとさまざまな言説が出来、和漢混淆文も多様に変化していることを考え合わせると、とてもよく納得ができる説明です。さらに変体漢文と呼ばれる文体のことも、このように考えると理解しやすい。

かつて故三角洋一さんが日本文体史を構想して、表記や文体と交錯する文学史を書こうとしていた時、私は彼の立てている仮説に異論を唱えました。なぜなら軍記物語は、同一作品が片仮名交じり、平仮名交じり、さらに真名文にも書き換えられるからです。そのせいか、三角さんは覚一本平家物語の文体を論じないまま亡くなってしまいました。爾来、私もずっと、和漢混淆文の発達史が気になっていたのです。

軍記物語研究では、佐倉由泰さんが『将門記』を、「吏の漢文」「吏の文学」という観点で論じています。和漢混淆文や変体漢文の変遷は、軍記物語史とも不可分なものでしょう。軍記物語講座第1巻、第2巻がきっかけになって、表記や文体、即ち文学の内容だけでなく表現についても論じる機運が起こって欲しいと思っています。