身捨つるほどの

もう53年前のことですが、東南アジアを船で歴訪したことがありました。マレーシアで、地元の青年商工会議所の人(私もその頃は青年だった)と昼食を一緒にする機会がありました。今日は日本のお客様向けにカレーは甘くしました、と言われて1口、飛び上がるほど辛い。口直しに、ジャムみたいなものだからと勧められた(チャツネだったらしい)1匙が、これまた辛い。

マレーシアは、華僑としてやってきた中国人、植民地時代に留まった英国人、そして地元のマレー人たちが集まってできた、新しい国です。通用している言葉は英語、その次が北京語。マレー人への優遇措置もありますが、幅を利かしているのは、中国系マレーシア国籍の人々でした。食事の合間に何故か老後の話題が出ました。理想の老後は英国に土地を買って暮らすこと、それが平均的な夢だと聞いて、吃驚しました。生まれ育ったこの国でもなく、父祖の地中国でもなく、晩年に帰りたい先は旧宗主国の英国だと。

祖国って何だろう?という疑問が、それ以来ずっと、胸の底にわだかまっています。身捨つるほどの祖国はありや、と歌った歌人がいたように、日本人にとって祖国はやや重苦しさを伴いつつ、それでも故郷の延長線上にあるものでしょう。しかし香港やパレスチナは、全く違います。植民地の期間が人1人の一生より長くなると、もう各人の「祖国」ができてしまう。父祖の地とは別に、民族主権もないまま、「祖国」をもつということのくるしさ、つらさは、その身になってみなければ理解できないかもしれません。

船旅の終わりに上陸したのが香港でした。夜景の美しさしか覚えていないのが申し訳ない気もします。