万歳

40代の知人から、ネット上で万歳に関して議論が盛り上がっているらしい、と聞かされました。2人とも万歳そのものには子供の頃からあまり違和感はなかったのに、最近の押しつけがましい「万歳」には抵抗がある、ということで意見が一致しました。彼女とは年代も違うのに、何故かこの件に関しては感覚が合ったのです。

回顧してみると、子供の頃、例えば運動会で赤組が勝って、みんなでバンザーイ、というような局面はよくあり、べつに嫌な感じはありませんでした。どうしてこの頃、とくべつの、嫌な雰囲気になったんだろう、と考えてみると、安倍総理が先帝にいきなり万歳三唱をしたとか、バンザイクリフの歴史とか、そしてあの夜二重橋の下でしつこく繰り返されたとか、そういう例が頭に浮かんできます。一方で、運動会など私たちの日常の中では、万歳を叫ぶことはいつしかなくなっていたのでした。代わりには?2人以上ならハイタッチ、個人なら「わーい!」か「やったね!」でしょうか。

調べたら、万歳三唱という習慣は、明治のナショナリズムと並行して始まったらしい。中世には「千秋万歳」(せんしゅうばんぜい)という、長寿を願う賀詞があるので、てっきりその頃からあるものと思っていました。戦後民主主義の時代には庶民や学童でも使う賀詞となり、最近は、押しつけがましい、何やら怪しげな雰囲気が肌に合わない、ということなのでしょうか。

君が代、日の丸、万歳三唱・・・それぞれの世代に複雑な体験の蓄積があり、しかし外国から見れば日本人の意識として一括され、それに抗うことが許されない場合もあるのかもしれない、と思うと気が重くなります。せめて慶びや祝いの表現だけでも、万人共通の、汚れのない方法がほしい。沖縄にはあるように。