足柄

猪瀬千尋さん「新出今様琵琶譜 足柄三首、物様一首ー「関神」「滝水」「恋者」および「権現」についてー」(「国語と国文学」10月号)と、須藤あゆ美さん「物語を領導する歌謡ー『平家物語』における今様「滝の水」の機能ー」(「梁塵 研究と資料」32号 2017/12)を読みました。

「足柄」は従来、足柄明神の説話(明神が長旅から帰宅して白く太っていた妻を見て、留守中自分を想っていなかったと判断して離縁したという。『平家物語』その他に引用されている)で有名でありながら、詞章そのものは不明であった今様です。後白河法皇の『梁塵秘抄口伝集』に度々言及される「大曲」で、「足柄十首」、「足柄四首」、また「足柄三首」という言い方もあり、「関神」「滝水」「恋者」がその三首に当たります。後白河法皇は、今様の師と仰いだ遊女乙前の瀕死の床を見舞った際にこの曲を歌い、その供養としても歌いました。

猪瀬さんの論文は、新出資料『諸調子品撥合譜』(宮内庁書陵部伏見宮家旧蔵)に基づき、その中に含まれる足柄三首及び「「権現」について考察したもの。「足柄」は、後白河法皇伝受が実際に歌われた最終時期だったと推測しています。詞章の翻刻・解釈によって、具体的な内容が判明したことは有難く、画期的なことです。

しかし、解釈には未だ検討の余地があるように思われます。例えば国語学からの助言(「ん」表記が意味するものなど)は、有益ではないでしょうか。すべてを強烈な愛欲に絡めて考えるのも疑問です。遊女の持ち歌であることや、明神の説話などに引きずられて、後白河法皇の往生観までを規定するのは、急ぎすぎでは。

須藤さんの論文は『梁塵秘抄』404歌(「足柄」とは無関係)が、延年の武力的側面を背景にして、『平家物語』では動乱の予兆として使われているとするものです。

今後、歌謡研究の展開が楽しみです。