田端

仏蘭西からJ・ピジョ-さんが来日されたので、田端の文士村記念館で待ち合わせしました。風雨が激しく、傘を開いては歩けない瞬間もあるほど。記念館はがらんとしていましたが、数組の若い見学者が、文士ゲームのキャラクターを熱心に撮影していました。

少女時代、小石川に住んでいたので巣鴨駒込は行動範囲内だったし、芥川龍之介室生犀星は愛読しましたから、田端には行ってみたいと思いながらついに今まで機会がありませんでした。父が「田端」という地名を口にする時は何かちょっと特別の雰囲気があった気がして、その訳を思い出そうとするのですが、わかりません。上司とか敬愛する先輩とかが住んでいる場所ーそんなニュアンスだったと思います。

かつてアエラムック「平家物語がわかる。」にも書きましたが、講談社の少年少女雑誌から「文学」への開眼を果たしてくれたのは、芥川龍之介でした。カラフルな1冊全集を読み、吉田精一先生による伝記を読み、片端から作品を読んでいきました。「歯車」や「或阿呆の一生」を徹夜で読み終えた台風の翌日、隣家から流れてきたジャズピアノの音に、すでに昼間になっていたことを知り、雨戸を開けた時のことは忘れられません。中学2年の夏でしたが、新たな生まれ変わりの日でした。いま何十年も離れていた芥川とその関係資料を見て回って、もういちど文学をやりたい、という思いが熱くこみあげてきました。

大塚駅まで行き、ピジョーさんと日本酒を呑みながら、よもやまの話をしました。世界的異常気候のこと、ノートルダム再建のこと、プルーストが漫画化されたこと、共通の知人の噂、互いの今の仕事や終活のこと・・・酒は北雪、肴は茸尽くしの天麩羅、銀杏、鮟肝、地魚3種の握り。雨はいつの間にか上がりました。

企画展「芥川龍之介の生と死」は田端文士村記念館で、来年1月26日まで。