宗尊親王

中川博夫さんの『竹風和歌抄新注』(全2冊 青簡舎)という本が出ました。上下合わせて1200頁を越える大著です。『竹風和歌抄』は、後嵯峨院の第3子宗尊親王が自ら晩年の定数和歌を集めて編んだ家集で、樋口芳麻呂氏が発見した孤本があるのみ。

宗尊親王は、日本史の授業では、幼くして鎌倉の親王将軍に迎えられ、政治が分かるようになると幕府から疎まれて京都へ追放された、と覚えてきただけですが、その裏には複雑な事情があるようで、帰洛後8年、僅か33歳で亡くなったのです。彼の生きた時期は、平家物語が生まれ、育っていた期間でもあり、都では後嵯峨院の文芸サロン、鎌倉では幕府の正史『吾妻鏡』編纂の時代でもありました。さっそく、中川さんの『瓊玉和歌集新注』(青簡舎 2014)も引っ張り出してきて、解説を読みました。

いろんなことを考えさせられました。自分が知らない世界がいかに広いか、それをつくづく知る読書こそ、本来の読書の楽しみを味わわせてくれるものですが、本業とも関わってくる問題が少なくないので、楽しんでばかりもいられない―春の曙を「さびし」と詠む歌がこの時期に見え始めること、その情調や叙景が、南朝歌壇や京極派につながっていくことなどは、大いに蒙を啓かれました。

彼の作に述懐が多いことは知っていましたが、もしも彼の伝記をまったく知らずに歌だけ読めば、その境遇を知って読んだ時とでは判断が違うこともあるのでは、という疑問が、『瓊玉和歌集』については湧きました。また『竹風和歌抄』中の「長かれと何思ひけむ世の中に憂き目見するは命なりけり」(文永6年5月百首歌753)は、『太平記』巻4に万里小路宣房の述懐として使われていますが、述懐和歌は置かれた文脈によって悲痛さの質が変わることを、改めて噛みしめました。