矢来町

内扉に葡萄の房をデザインした文庫本は、かつて私の本棚にかなりのスペースを占めていました。文芸書で有名でした。市ヶ谷の定時制高校に3年ほど勤務した頃は、時々社屋の傍を通り、社員らしい、質素だけど視線のしっかりした人たちとすれ違いました。

それが―どうしちゃったんだろう。書評を金で買う、それを堂々と公募するなんて。おまけに少しも悪びれていない。意図を違った形で受け止められて、というのは反省ではありませんよね。善意が空回り、というのも何だか違う。

ネットで商品を褒めて稼ぐ時代です。書評なんてそんなもんだ、とか、あの著者は受けたがり屋の人の好いおっちゃんだから、とかいうコメントもネット空間には溢れています。でも、出した本の著者に対するおべんちゃらを書かせ、その報酬を受け取る人を募集し、それに騙されて買ってしまう読者を相手に仕事をするのって、自分が卑しくなった気はしないですか?報酬を出さなければ未だしも。参加型の宣伝というが、新たにつかまえたい人は、これまでつきあいのなかった人でしょう。その人たちは、徹底して莫迦にされています。

そう言えば我が家の本棚に、新しく入ってくる葡萄デザインの本は、ぐっと少なくなりました(仕事絡みの本は、ここからはあまり出ていない)。出版社の数が増え、作家が増え、読者の財布の紐は相対的に堅くなった、ということでしょうか。衣料品や食料品は価格破壊があったのに、本の値段は上がる一方で、例えば珈琲1杯の値段と現在の新刊文庫本の値段を比べると、私の青春時代よりも割高だと思います。今どきの読者は、賞金でも貰わないと本は買えない、そう忖度されたのでしょうか。もしやこれも、ポイント還元制度のひとつ?