台所用洗剤

親の家に残っていた古い台所用洗剤を使ったら、久しぶりに主婦性湿疹が出ました。我が家は欠けやすい陶器が多いので、家事用手袋は使いません。しかしひび割れが痛い程になってきたので、思い切り薄めて使うことにし、当座の問題は解決しました。

台所用洗剤が普及し始めた昭和30年代後半、洗い物が容易になったのが嬉しくて、苺まで洗剤で洗ったものでした。家庭料理にも炒め物が増えた時代です。主婦性湿疹がひどくなり、手の皮はぼろぼろに剝け、でも対処法が分からぬまま使っていました。

昭和40年代後半、長門本平家物語の書誌調査で全国を歩いていた頃、たしか山陽地方の列車のボックス席で、中間管理職世代の男性と乗り合わせました。大人ですがどこか弱気に見えました。互いに、どこまで行くのかといった会話を交わした後、男性は、出張の帰り、用務を済まして半日観光した先で、大事な報告書を失くしたと打ち明けました。誰かに言わずにはおれなかったのでしょう。私は、だいじょうぶ、きっと誰かが拾ってくれますよ、と言いました(そう言うしかない)。じっさい、学生時代に九州一周旅行をした時、周遊券を落とし、観光船の事務所が次のJR下車駅まで届けてくれた経験があったので、その話をしました。男性は明らかにほっとし、ふと私の掌を見て、どうしたのかと訊き、台所用洗剤でこうなったのだと言うと、衝撃を受けたらしくて考え込みました。洗剤会社の人だったのです。

半世紀近く前の話です。現在の洗剤はずっとマイルドになりました。あのおじさんはどうなったでしょうか。大事な報告書を疎かにして出張先で遊んだ、と出世をふいにしたか、ぶじ書類が戻ってきたか。もう在世ではないかもしれません。でも多分、社に帰って、開発部門に主婦性湿疹の研究推進を提案した、と私は信じています。