送り火

三好行雄先生は工学部の出身でした。終戦時は、何のためかも分からず毎日曲線を引かされていた、後で知ったがそれらは特攻機の翼の設計図の一部だった、それが空しくて文学をやろうと思った、と話されたことがあります。

論考は緻密で論理的、『作品論の試み』を読んで、ああ文学研究はこういう風にやれば万人を説得できるんだ、と感動しました。いつかこの方法を分解、分析して自分のものにしてやろうと思い、廉価版を買ってしまいこみました。野坂昭如をもっとワイルドにしたような風貌でしたが、熊本出身だと聞いていたので、そういうもんかと思っていました。調べてみたら炭坑都市飯塚の出身だと分かり、一気に納得しました。論争には正面から受けて立ち、消火や妥協の姿勢を取らない人でした。

しかし話し方は穏やかでした。見合いで結婚して、単身帰京する時、ホームに見送りに来た新妻から、車中で飲んで下さいと何か渡されたので、てっきりポケットウィスキーだと思ったらミルクだった、とか、初めて連れて上京した盆明け、善福寺川の縁で(当時の東京の川はひどいものでした)、独りで送り火を焚いていたんですよ、とか話される表情には、妻へのいとしさが溢れていました。

鳥取大学へ夏の集中講義にお招きした時、36度の炎天下を観光にお連れしたら、背広を着たままなので、お脱ぎ下さいと申し上げたのですが、吉田精一さんから独逸式を叩き込まれたからと仰言って、汗を拭き拭き歩かれました。その後まもなく、血液の癌で亡くなりました。すでに体力は落ちていたのでしょうが、決してそうは見せませんでした。

昨日は諏訪の花火大会。花火大会を開けるのは平和な証拠です。東京湾大花火も当初は戦没者追悼を謳っていたのに、最近は言わなくなったようです。