8月6日

出かける直前、TV中継が広島から始まりました。台風の影響か、雨天だそうです。川の街広島を初めて訪れたのは、56年前、幼なじみの友人と一緒に、夏の暑い日でした。原爆ドーム原爆資料館、そして人影の灼き付いた石段も見に行きましたが、いま思えば未だあの頃は、よそ者には原爆の怖さが十分には解っていなかったと思います。何となくしんとしながらも、赤い夾竹桃の並木を通り抜け、私たちはすぐに姫路城や鳥取砂丘へと移動して行きました。

遺児の鳴らす鐘の音に黙祷し、子供たちのまっすぐな誓いの言葉に刺されながら、あの友人も40年前に亡くなったことを思って、ヒロシマの重さが年ごとに増して来るのを感じました。

東京は35度になるという予報の、晴れ上がった朝。お茶の水駅で待ち合わせしました。予備校の夏季講習なのか、人波が途切れません。共同研究のメンバーと共に、終日写本の墨色を確かめてはメモを取りました。私心なく実物を見ることによって、証明困難な事態を推理する糸口を捜す作業ですが、やっていれば心に充ちてくるものがある。前途遼遠ではあっても、新たな推理は可能な気がしてきました。

帰宅したら、原爆資料館の新方針による展示替えの特番が放映されていました。名も記録されない多数の死から、個々の生の具象化へ―それが記憶を風化させない方法の一つなのでしょう。白い川砂と赤い夾竹桃の街に降り注ぐ熊蝉の蝉時雨。燃え続ける献火の向こうに揺らぐ「過ちは繰り返しませぬ」の文字。飲ませてやれなかった悔いをこめて捧げられる水・・・何よりも、死者のことを語る物語が、せめての鎮魂になりますように。