中世説話の環境

「日本文学研究ジャーナル」10号を取り寄せて読みました。「中世説話の環境・時代と思潮」と題する特集です。目次には、「西安玄奘三蔵学会に想う」小峰和明、「見えない仏」本井牧子、「源隆国晩年の対外観と仏教」荒木浩、「熊谷惣領家と直実説話の継承」大塚紀弘、「愛に寄り添う説話」猪瀬千尋、「『吉野拾遺』行継遁世譚の展開と変容」森田貴之、「大福寺所蔵「瑞夢記」について」辻浩和、そのほか『元亨釈書』について1篇、『沙石集』についての論考が3本並んでいます。

私にとって一番面白かったのは荒木さんの論文で、副題は「宇治一切経蔵というトポスをめぐって」となっています。45年以上前(高校教諭の頃)、『宇治拾遺物語』や『今物語』を読みながら、説話の集まる場所、寄ってくる人というものがあるのではないかと考え、「宇治の宝蔵」という短文を、ガリ版刷りの職場の文集に書いたことがありました。その後、田中貴子さん始め多くの方々が、似たような発想で宝蔵・経蔵に注目しましたが、本論文は隆国の生涯や時代環境をひろく描き出し、目が覚める思いです。荒木さんの文章は読みにくくて敬遠していたのですが、今回はよく理解できました。

猪瀬さんの論文の副題は「鴨長明『発心集』と中世唱導の交叉」というもので、わかりやすく読めましたが、「愛」といった近代の語を使うことには賛同できません。そこで話が停まってしまうからです。なお「恩愛」という語は、中世では夫婦関係にも使われます。森田さんの論文は、もっと整理して短く書ける、と思いました。論文を書く前にアウトラインを作って、論理構成を自ら点検する習慣をつけることをお勧めします。

かつては軍記物語と説話文学の研究は、相互乗り入れがごく普通でした。本誌の目次を眺めながら、時代の転変に感無量です。