長門本平家物語

佐々木孝浩さんが、早稲田大学図書館蔵の18冊本長門本平家物語(巻1・2欠)について、フェイスブックで言及していると教えられ、ご本人に問い合わせました。

「ちょっと必要があって早稲田の平家の画像を眺めていたんですけど、題簽が小さくて、各冊末尾に特徴ある蔵書印の切り抜きがあったので、フェイスブックに「肥前島原松平文庫」旧蔵本だろうと書き込みました。単に旧蔵者を指摘しただけです。長門本平家物語の流布過程を考える上で、ご参考になりましたら幸いです。」(佐々木孝浩)

大学院へ入ってすぐ、日本全国の「長門本」と思われる平家物語を見て歩きました。かれこれ50年前のことです。当時は、明治39年に国書刊行会から出た翻刻があるだけで、その時期の翻刻の常として、校訂方針や依拠本文が必ずしも凡例通りではないものでした。その翻刻だけを指標に、それらしき平家物語の写本を片端から見て歩いたのです。しかし書誌調査の基礎訓練もろくに受けず、写本を見た経験といえば、アルバイトで『国書総目録』編纂のための調査をした程度の「素人」でした。

行く先々で書誌の基礎データを採りましたが、それ以上は何をしたらいいか分かりません。ともかく4つの巻を決めて冒頭の1丁を写しておくことにしました。写真撮影は今のように簡単ではありませんでしたから。関心の第一は、「長門本」と呼ばれる本文は同一種類かどうか、同時に国書刊行会本の本文が使えるか否かだったので、端本や書写態度の杜撰なものにはあまり注目しませんでした。

その後数十年も経ってから、採りためたデータを整理してみると、藩が関係したらしい大型で美麗な体裁のグループと、民間で急いで写したらしいグループとに大別できそうなことが分かりました。しかし、この頃になって、その中間的形態の本がいくつかあることに気づき、それらの伝来を丁寧に辿っていけば、長門本の流布・伝播の大元にかなり近づけるかもしれない、と思うようになりました。早大18冊本もその一つ。放置していた仕事に復讐され始めた気がします。書誌にあかるい人、近世の地方知識人の活動に関心ある人、そして人生の残り時間の未だある人・・・少しずつ調べてくれませんか。