源平の人々に出会う旅 第30回「福光町・巴その後」

 寿永3年(1184)1月20日、義仲討死後の巴の動向は『平家物語』諸本によって異なります。『源平盛衰記』では、信濃に戻った後、鎌倉に呼び出されますが、和田義盛と結ばれて朝比奈三郎を産み、和田合戦の後は、越中石黒(福光町)を頼って尼となり、91歳まで生きたとしています。

【巴塚】
 福光では、巴は兼生尼と名乗り、巴の死後、侍女のおさもが亡骸を葬った場所に松を植えたと伝わります。『盛衰記』は異説として、巴は赤瀬の地頭を訪ねたとも記しています。延慶本や『源平闘諍録』の巴は合戦中に行方知れずとなり、長門本では越後国友椙で出家しています。覚一本や中院本では東国へ向かっていますが、文禄本では橋本宿の遊女になるなど、情報が錯乱しているようです。

f:id:mamedlit:20190703025943j:plain

 

【巴塚の松】
 伝説の中の巴も神出鬼没であり、全国各地に足跡を残しています。巴の墓や供養塔は、福光以外にも、千葉県印西市・神奈川県横須賀市小田原市・長野県上田市・木曽町・滋賀県大津市など数多くあります。

f:id:mamedlit:20190703030025j:plain

 

【福光城址(石黒氏居城)】
 石黒氏は倶梨伽羅峠の戦いなどで活躍しています。『盛衰記』には、巴が「石黒ハ親シカリケレバ」とあり、何らかの関係があったようです。倶梨伽羅峠にある巴塚・葵塚も石黒氏が建立したと伝わっており、『盛衰記』の記述が影響しているのでしょう。

f:id:mamedlit:20190703030145j:plain

 

〈交通〉
JR城端線福光駅
    (伊藤悦子)