太平記の構想

大森北義さんの論文「『太平記』巻十一の主題と第一部世界について」(「古典遺産」68号)を読みました。「『太平記』始発部の歴史叙述と合戦記-正中の変-」(「古典遺産」63号 2014/3)に続けて、太平記の構想、作品世界の組み立てを探っていく論考です。

40巻にも及ぶ太平記世界は、通常3部に分けて分析されています(2部説もある。2部とは、後醍醐天皇の物語としては冒頭から天竜寺供養〈流布本巻24,西源院本巻25〉まで、それ以降は室町幕府の物語とする)。その第1部(冒頭から巻11まで、もしくは巻12まで)は、後醍醐天皇復権と北条氏の滅亡という、二つの脈絡が互いに関わり合いながら進行していることが重要だと、大森さんは言います。この絡み合いは、単に事件の列叙ではなく、太平記の歴史叙述の1種の「型」を成しており、両者に密着して楠木正成が重要な位置を占めている、とも指摘しています。

本論文の最後は、太平記第1部は、鎌倉末期の歴史変革の帰結を、北条氏滅亡と後醍醐復権とみる視点をもつと同時に、この動乱は為政者の不徳が招いたとする視座をも準備して始まっている、その視点と視座とのかかわりを今後検討したい、と結ばれています。先日、大森さんと電話で話したところ、かつて増田欣さんが長恨歌など漢籍太平記の関係を論じたのは、単なる典拠論ではなく、壮大な歴史文学の組成の過程を論じる契機だったのに、自分たちがそれを承け継いで発展させることができなかった、そのことに気づくのに30年かかった、と熱く語っていました。

太平記論の新時代が、これからどうひらけていくのか、楽しみです。