中世の仏教と芸能

中世文学会のシンポジウム「中世の仏教と芸能」を聴きに、駒澤大学へ出かけました。村上光徳さんや水原一さんがおられた頃はよく来ましたが、もう何十年ぶりでしょう。周辺の通路には大学の警備員が配置され、構内の建物は殆ど全部建て替えられていました。久しぶりで教室の椅子に座ると、全席の机に電源がついていて、時代の流れを感じました。

歌謡の植木朝子さんの「今様の中の仏教世界」、能の竹本幹夫さんの「芸能市場としての寺院」、仏教の石井公成さんの「太平記読みと狂言と玄恵法印」、3本の報告があった後、小林健二さんの司会で質疑応答が行われました。植木さんは『梁塵秘抄』の法文歌を中心に、経典だけでなく唱導や談義書などから採取した題材もあること、仏教を揶揄するような歌いぶりであっても結局は仏教賛嘆の一方法であったことなどを述べました。竹本さんは多くの資料を詰め込み、早口で読み上げたので、聴きながら追跡するのは困難なほどでしたが、ちょうど芸能史研究会シンポジウムの戦後処理をしていた私には、猿楽の変遷とその担い手の話が興味深く聴けました。石井さんの話は、様々な文学の成立に関わって名の出てくる「玄恵法印」とは、似たような才能と活動経験を持つ僧侶たちの総称だとも言えるのではないかというもの、これまた大変為になりました。

終わって外へ出たら、未だ陽は沈まず、新緑の中に久留米躑躅が満開。懇親会に出ない者同士で軽く呑んで帰ろう、という話になり、源平盛衰記研究を異なる方法でやっている3人で居酒屋に入って、あれこれ情報交換しました。うるさく騒いでいる学生たちに負けないよう、殆ど怒鳴りながら学問の話をし、美味しく麦酒を呑んで、別れました。

シンポジウムの合間に気ぜわしく、幾つもの連絡や確認をこなした1日でした。気になっていた本も1冊、買いました。