歌謡の時代性

植木朝子さんの論文「歌謡の時代性―「城南寺の祭」と「独楽」からー」(「日本歌謡研究」第58号 2018/12)を読みました。日本歌謡学会のシンポジウムで、『梁塵秘抄』439番を取り上げ、その詞章のどこが、当時新しみとして受け止められたのかを探ろうとしたものだそうです。

城南寺は鳥羽離宮の中にある城南宮の神宮寺で、白河院によって建立されましたが、後白河院時代の永暦頃には、9月20日前後に盛大な祭が催され、流鏑馬や競馬などが奉納されたらしいとのこと。その雑踏が怖くて、子供に誘われても、独楽は行きたくないと首を振る、と解釈しています。独楽は外来のもので、平安後期には身近になり、猿楽芸にも使われたこと、ここは唸り独楽であったろうこと、時代背景を考えると、439番は比較的新しい成立ではなかったかと論じています。

城南寺の祭が後白河院時代にそんなにも盛んであったことや、独楽が外来の新奇な玩具であったことなどは初めて知りました。そこが判っていなければこの歌謡もまるで解っていないことになり、恥じ入りました。歌謡の言葉遣いは独特で、今の眼で見れば斬新です。植木さんの精力的な仕事の中でも本論文は殊に広がりがあって、面白く読みました。