ダリヤ

最近は季節に関係なく、大輪のダリヤが流行っているようです。子供の頃、庭先に植えたダリヤは、葉が臭かったし、夜の間に黄金虫が花弁を食い散らし、芯が糞まみれになっていたりして、好きになれない花でした。ポンポンダリヤという小輪咲もありましたが、何となく、わがままなイメージのある花でした。

先日、誕生日祝いに花屋が2本、真っ赤な大輪のダリヤをプレゼントしてくれたので、瀬戸の花瓶に活けてみましたが、あまりにも花が大きく(直径20cmはある)、茎が不釣り合いで、さまになりません。新芽の出始めた椿の枝を剪って添えてみたら、どうにか格好がつきました。ビルの玄関に飾るような、大きな盛り花の中に突っ込むのに最適な花なのでしょう。

親の家を整理した時、蒔絵の手箱一杯に詰めた手紙の束が見つかりました。亡母と父がやりとりした手紙らしい。空襲が激しくなってきた湘南から、福岡の田舎にある姑の実家に疎開した亡母と、東京で仕事に逐われる若手官僚だった父との往復書簡です。達筆の万年筆書きで、小姑たちに読まれないよう、英語で書いたものもある。私も簡単なものなら中世の文書くらいは仕事で読むのですが、あの2人の達筆を読むのが断捨離の最後に控えていることを思うと、今から自信がありません。

上の方に載っていた1枚はー疎開前の新婚時代、庭先に播いたカカリヤの花が気に入り、来年も咲かせようねと言ったら、彼がさっそく種子を買ってきた。種子なら今年の花から採ってあるのに無駄遣いして、と言ってしまったが、今日は私が近所の農家の人が売りに来た赤いダリヤに惹かれて、つい買ってしまった、ごめんなさい、と反省している亡母の手紙でした。彼女が好きな花だったんだなあ、と眺め直しました。