浜風

4月の風はさわやかですが、けっこう冷たい。未だ空のどこかで、残雪の峯を擦ってくるのでしょう。湘南で育ったので、浜風の記憶が呼び覚まされます。こんな風の吹く晴れた日には、砂山のくぼみに隠れるようにして、浜豌豆の濃紫の花が咲いているはず。弘法麦やハマゴウのような強情な草とは違って、なかなか見つからない、高貴な感じのする花でした。

後年、鳥取へ赴任して、人気のない砂浜で群生しているのを見つけた時は胸が躍りました。人にも話さずにいましたが、数年後再訪してみると、浜は荒れ、岩にはイガイと呼ばれる黒い貝(ムール貝の仲間で、食べられます。他の土地から来た学生たちは鉄板焼にして食べますが、地元では馬鹿にして食べない)がびっしり付き、海の有機物が増えたことを証していました。もう、どの浜だったか地名も忘れてしまいました。

湘南の砂山を、一度だけ父におんぶされて歩いた記憶があります。父は私をあやすように、「浜辺の唄」を歌ってくれました。滅多にないことです。私はその後も「浜辺の唄」を何気なく歌っていましたが、半世紀以上も経った父の死後、ふと3番の歌詞を見て、思わず息が止まりそうになりました。この歌は大正から昭和初期に大流行した歌でしたが、1番2番は、ただ懐旧の海辺散策のような内容です。しかし3番には、「病みし我はすでに癒えて、浜辺の真砂愛子今は」とある(とつぜんの嵐に裳裾を濡らした女性が、幸福な生活を取り戻してうたう歌でしょう)。父は結婚生活10年で、当時流行っていた結核で愛妻を喪ったのです。湘南地方に住んだのはその療養のためでした。

5月が近づくと風は変わり、薫風と呼ばれる、若葉のエネルギーをはらんだ風になります。昨日今日がその変わり目のようでした。我が家にはいま濃紫の菫が咲いています。