国書

元号の話題が、こんなにフィーバーするとは意外でした。明治・大正・昭和前期(戦前)・昭和後期(戦後)という区分は、何となく文化の違いも判って手放し難かったのですが、平成に入ると換算がめんどうで、元号に愛着が薄れました。しかし世界規模で見れば、基督生誕で歴史を数えることに抵抗がある人々もいるわけで、元号を併用することでいわば基督教的歴史観を中和している、というのが私の偽らぬ実感でした。

ところが40代以下では、元号天皇制がセットであることに無自覚な人も多いらしい。元号はやがて時の天皇の諡になりますが、国政決定権のない象徴天皇が、今さら暦を支配することはできません。だからと言って、偶々その時行政の長である者が、新元号の意義をしたり顔に(牽強付会で)説くのは、どんなものでしょうか。

何より噴飯ものなのは、国書から採った、という評価です。万葉集からとはいえれっきとした(『文選』等の影響濃厚な)漢文の中から採用された2字ですし、そもそも漢字が中国伝来であったのですから、国書か漢籍かという考え方自体が愚かしい。そういう見方にこだわっている間は、やはり日本は中国には勝てない、と中国から揶揄されても仕方がないでしょう。

日本上代の書き言葉は、日中のバイリンガルでした。文字だけでなく制度を始めあらゆる文化の手本が中国だったのです。それは、アジア地域における印度と中国の文化の影響の大きさを示すものであって、21世紀の国の優劣を論うものではありません。日本は上代から中世まで、大陸と半島の文化を、その後は南洋・欧州の文化をも摂取し、それらを巧みに応用、変化させて和風文化を創ってきたのです。その咀嚼力、応用力が我々の誇りです。これは永年に亘って多くの評論家たちが諄々と説いてきたことです。

漢字で元号を作る以上、国書か漢籍かなどという愚かしい議論はやめましょうよ。