説話研究を拓く

論集『説話研究を拓く―説話文学と歴史史料の間に』(思文閣出版)を読みました。本書は、国際日本文化研究センターの倉本一宏さんが主宰して、2015~2018年度に16回に亘って開かれた研究会での成果を編んだもののようです。1説話と歴史史料 2説話の生成 特集・説話の国際性 3内在する歴史意識 4説話の変容という構成になっていて、特集以外では論文16篇、コラム11篇が収められています。

しかし読んでみて、充実度は論文かコラムかには関係ないようです。私には保立道久さんの「『宇治拾遺物語』の吉野伝承」、呉座勇一さんの「足利安王・春王の日光山逃避伝説の生成過程」、樋口大祐さんの「慈光寺本『承久記』における三浦胤義」などが面白く、ためになりました。松薗斉さんの「『古事談』と『古今著聞集』」、伊東玉美さんの「円融院大井川御幸の場合」、木下華子さん「『発心集』蓮華城入水説話」、蔦尾和宏さん「称徳天皇道鏡」など、作品の本質を掴んで実証していく正統派の手法からは、満腹感を味わうことができます。大先達である池上洵一さんの「『明月記』の月」は、老後の文章の自由さが羨ましい。漢文日記は宝の山なのですね。

内田澪子さん「『長谷寺験記』編纂と下巻30話の役割」は、表題の説話が弘安3年(1280)3月の長谷寺焼亡後復興の勧進活動のために、皇室への働きかけを意識して、周到に編纂されたとしています。野本東生さん「古今著聞集と文体」は、漢字文が和文体に混入してくる部分に注目して、著聞集のもつ読み物性と参照性という二面性を指摘したもの。重要な問題と思って期待したのですが、読みにくい。筆者の中で、未だ生煮えなのかもしれません。

後発だった説話研究の分野でも、表現や史料との交差など、今や高度の問題意識が行き渡りつつあるのだなあと、感無量でした。