本文撮影

村上學さんのエッセイ「国文学研究が肉体労働であったころ」を読みました。

 https://kachosha.com/gunki2019031501/

村上さんは年齢的には大先輩なのですが、いくつもの仕事(企み)を御一緒しました。この分野には伝説的なバイタリティの持ち主が2人いて、1人は福田晃さん、もう1人が村上さんです。文中に、1日に1人で800枚の焼付をした、とあるのは桁数の間違いではありません。機械にも詳しく、未だPCが珍しかった頃、自力で組み立てたそうで、私たちはかげで「最初に映ったのはイロハのイかしら」と囁いたりしました。

画像にあるアサヒペンタックスや撮影台は、私にもなつかしい。複数の本文を見比べる必要のある軍記物語研究では、紙焼写真―影印本―デジタルデータ、という時代の趨勢と研究史とが並行しているのですが、紙焼でも自力撮影と業者撮影では時代差があります。私もカメラと三脚は買いましたが、長門本平家物語を単独で撮影するのは物理的に不可能に近く、けっきょく、手写しのメモをもとに作業をしました。

曽我物語の基礎的研究』を出された時、私は読みながら、どうして、悉皆調査すると諸本の大半は混態本だという結論になるのだろう、という疑問を抱き、そのままになっていました。当今、平家物語の諸本研究でも混態現象がよく論じられ、保元物語にも同じような事情がありそうですが、混態を指摘しただけでは諸本の発生と展開を論じたことにはならない。私がそう申し上げたことが、末尾の「しょげるしかない」という言葉になったようです。

軍記物語講座(花鳥社より今秋から刊行予定)では、第4巻に義経記曽我物語、第2巻に、諸本の混態現象の背景を考える論を収めます。