寿永2年(1183)11月、義仲と後白河法皇の対立が悪化し、法住寺合戦が起こります。圧勝した義仲は法皇を幽閉、藤原基房と共に除目を行い、征夷大将軍(史実は征東大将軍)となります。しかし、この時には範頼・義経が率いる東国の軍勢が迫っていました。
【曽我梅林】
範頼軍の中には、曽我兄弟の養父であった曽我太郎祐信がいました。頼朝が石橋山で敗走した際、平家方として道案内をしていますが(『源平盛衰記』)、後に許されて頼朝に従います。
【満江御前の墓(法蓮寺)】
曽我兄弟の母満江御前は、夫の河津祐泰が殺害された後、曽我祐信と再婚します。兄十郎は母の許に残り、弟五郎は稚児として箱根権現(箱根神社)に預けられました。満江御前の墓は曽我の法蓮寺にあり、付近には曽我屋敷跡もあります。
【曽我兄弟らの墓(城前寺)】
有名な曽我兄弟ですが、養父祐信については『平家物語』諸本や『吾妻鏡』にもあまり記されていません。城前寺境内には、画像左から五郎・十郎・満江・祐信の墓があります。寺の背後には曽我祐信敷跡の伝承地があります。
【曽我兄弟発願之像と鬼王兄弟之碑(城前寺)】
曽我兄弟の仇討ちを題材にした作品は、『曽我物語』の他、謡曲・浄瑠璃・歌舞伎・絵画など様々なジャンルがありますが、浄瑠璃「ともへ」や「東鑑御狩巻」などでは、源平合戦の人物達とのコラボも楽しめます。