描かれた能楽

小林健二さんの『描かれた能楽』(吉川弘文館)が出ました。近年、能舞台を描いた絵画資料がよく市場に出るので、関心はあり、さっそく開いてみました。写真がたくさん入った、楽しい本です。「能楽の絵画資料研究を拓く」という序があり、Ⅰ能楽絵画の諸相と資料的意義 Ⅱ近世前期における能楽の絵画的展開 Ⅲ能と物語絵の相互関係 という構成になっています。

私にはⅡー3屏風絵に描かれた能<藤戸>、Ⅲー3是害坊の物語絵と能<善界>、それに酒呑童子に関連するⅢー1能<大江山>と『大江山絵詞』が、面白かった。物語・説話を題材としたとみられる絵画資料が、じつはそれらから生まれた芸能をも併せて物語とし、総合して題材としている例は、かつて小林さんや石川透さんと一緒に源平盛衰記の共同研究をした際に、むしろその方が多数例なのだと痛感したことでした。つまり絵画の題材は個別の作品ではなく、そこから派生した話材群とでもいうべきもので、享受者はそれらをひっくるめて一作品と認知しているのだ、と知らされたのでした。

そういう眼で絵画資料を見ていくと、作品や話材の新たな解釈が導き出されることもあって、いわゆる「読者論」は、作品発生と同時に出発するのだと感じました。どじな天狗是害坊の説話は、私もNHKのETVの古典講座で取り上げたこともあり、本書が触れている高橋亨氏のコレクションは一緒に拝見した経緯もあって、なつかしく、同時に室町文化の教訓性と諧謔性の融合を好もしく思いました。今度、能「善界」の公演があったら観に行こうかな、という気になりました。

大江山絵詞』では、頼光が酒呑童子退治に伴う武者の数が、本文の誤解から絵画化の過程につれて変わってきたという、「独武者」の考証が面白く、昨日の展示会場でもいちいち武者の数を数えてみたりしました。

絵画資料から文学の何がわかるのか、どういう方法論があるのかと、私は共同研究の際に質問攻めにしていましたが、本書を通じて、その答えを示されたような気がします。