訪問診療医

小堀鴎一郎『死を生きた人びと』(みすず書房 2018)を読みました(副題「訪問診療医と355人の患者」)。著者は森鴎外の孫。外科医としての定年後、地域の在宅診療に関わった体験に基づき、事例を挙げつつ現代の終末期医療のあり方、患者とその家族の意識、行政の方針などについて問題点を述べています。序文には、黒白のはっきりした外科医の世界から、65歳を過ぎて偶々在宅医療の現場に立つようになった戸惑いが告白されていますが、本書の強みの1つは文章構成力にあり、42の事例のそれぞれが説得力を以て、しかも静かに、終末期医療とはどういうものかを説き明かします。

救命・治癒・延命に明け暮れた外科医の立場から、「だれにもとどめることのできない流れに流されてゆく患者1人1人に心を寄せつつ最後の日々をともにすごす医師」(本書p198)をめざす立場になったとき、転身は容易ではなかったでしょう。しかし、医師としての職業的生涯はこれで完熟した、と言えるのではないか。全ての医師がそうなれるわけではないでしょうが、こういう医師が身近に、ごくふつうにいて欲しい。医学部のカリキュラムには、そのためのきっかけを組み込んでおくべきだと思いました。

国の方針に深い哲学がなく、(なまじ国民皆保険であるが故に)フレールの数字によって一律に、医療打ち切りや安楽死承認を推進するかのような言説が幅を効かせる状態は、心が寒くなります。本書が言う通り、現代は「死」が遠ざかりすぎ、家族のみならず当人までもが死に相対する覚悟ができていない。そういう状況の中、また家族の形態が大きく変わりつつある今日、病院で死ぬのも、孤り死ぬのも、また家族に見守られて逝くのも、それぞれであっていい。各人にオーダーメイドの臨終(それこそが「尊厳ある死」です)を用意することが、いま喫緊に必要だという結論に、まったく同感です。